ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

やさしいけれど、そのやさしさに振り回されてしまう人たち[2020年3月22日(日)晴れ]

今回からタイトルを付けることにした。大勢の人に読んでもらいたくて書いているわけでもないけど、興味を持ってくれた人が訪れたとき、日付だけが並んでいては手の付けようがないと思ったので。

 

午前中に原稿を一本執筆。昨日しっかり休んだからか頭がすっきりしている気がする。休むことは大事だ。根気のない私みたいな人間の場合は特に。気合いで乗り切ろうとすると明らかにクオリティが下がるから、スケジュールをコントロールしながら自分なりのペースを保ち続けるほうが性に合っている。

たまにTwitterでフォローしているライターの方が「今日は朝までに原稿3本……!」みたいなことをつぶやいているのを見かけると、こういうガッツは自分にはどうやっても湧き上がってこないなと思ってしまう。そもそも徹夜が苦手だ。もし徹夜じゃなくても、原稿3本を一日で書き上げるのは(長さにもよるけど)精神的に避けたい。そうして自分にできないことをやってのける人の姿を見て勝手に落ち込み、皮肉などではなく本気で「こういう人にとってライターは本当に天職なんだな……」と感心したりする。自分はライターという仕事をするとき、いろいろ無理してるよなぁ、と思う。

 

昼は昨日作っておいた角煮をご飯に乗せ、丼にして食べる。昨晩もたっぷり食べたし、今日もお腹いっぱいになるまで食べたけど、鍋にはまだまだ残っている。幸福。ちなみに、我が家の角煮は川津幸子さんという料理研究家の方の「ねぎ豚」というレシピをアレンジしている。「ねぎ豚」はねぎと豚バラブロックだけを使っているが、そこにゆで卵と大根を入れてかさ増ししているのが特徴。大根は2〜3センチくらいの厚さで、豚肉などと一緒に最初から煮る。箸で切れるけど食べ応えがあり、味もしみておいしいです。

食後に少し休憩して、今度は原稿を一本編集した。そのあとは日記を書こうと思っていたのだけど、なんだか頭が働かなくて、文章がまったく出てこない。だらだらとYouTubeを見はじめ、気づいたら「スターオーシャンセカンドストーリー」という昔のゲームのプレイ動画を見ていた。

スターオーシャンは私が小学生の時にかなりはまっていたゲームで、なぜか最近よく思い出す。「セカンドストーリー」はシリーズの2作目で、この2作目とそのキャラクターが登場するゲームボーイ版の外伝「ブルースフィア」、そして3作目の「ティルジエンドオブタイム」をめちゃくちゃやっていた。そんなにゲームをするほうではないので、ゲームといえばこれとドラクエ(3から7)くらいしか経験がない。それゆえに、一作への思い入れが強いのだ。

「セカンドストーリー」は初代プレイステーションで発売されたソフトだが、最近「セカンドエボリューション」と題を変えPS VitaやPS4向けにリニューアル版がリリースされていた。前から迷っていたのだけど、ついにこのためだけにPS Vitaをポチってしまった……そんな時間があるのでしょうか? でもまあ、いつまでも「遊びたいな〜」と考えながらだらだらプレイ動画を見て時間を浪費するくらいなら、自分で遊んだほうがいい。しかしスターオーシャンシリーズの特徴といえばやりこみ要素で、男女の主人公どちらを選ぶかによって仲間になるキャラが違ったり、Aを仲間にするとBというキャラが仲間にならなかったり、キャラクターの親密度によってエンディングが変わったりするのだ。もしこの日記の更新が止まったらSO2のせいだと思ってほしい。

 

恋人が帰ってきて、水餃子を作ってくれたので一緒に食べる。今日も家から一歩も出なかった。最近は家から出ないことが多い。コロナはあまり関係なく、予定がない&自炊をよくするから食事のために家から出る必要がないだけなのだけど、家にずっといると一日の時間が長くなったように感じる。実際に身支度をしたり、どこかに移動したりする時間が短縮されていることもあるけれど、そうした行為によって時間が区切られず、一日が太くて長いまま、というのが大きい気がする。とても感覚的なことではあるけれど。どちらにせよやること、やりたいことに追われてはいるものの、不思議と余裕が持てている。

 

食後に大前粟生『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』読了。昨日までは永井宏『サンライト』と香山哲『ベルリンうわの空』を読んで、この二冊に登場する、自他の尊厳を尊重しながらも遊びがある人々の姿にあこがれていた。そうはなれない自分を改めて自覚したあとで『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の優しくてぐずぐずとした人間の姿を見たので、読みながら余計にひりひりした。

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』は世の中の女性差別に傷つきながら、自分の男性性に怯え、その加害者性とフェミニズムの間で引き裂かれる男子大学生の話。私はここまでナイーブではないけれど、SNSで悲惨なニュースばかり見て無限に傷つき続けてしまうところとか、適切な言葉が見当たらなくてスタンプだけ送るようなところとか、すごくリアルだ。

少し前に読んだブレイディみかこ『僕はイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー』ではエンパシー(相手の立場に立ち、他人の感情や経験を理解しようとする能力)の重要性が説かれていたけれど、この『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』はシンパシー(かわいそうな人や自分と似た立場の人に共感したり、感情移入したりすること)の過剰さによって自立していられなくなる人の姿を描いた小説だと思う。そしてそういう人はやさしい。やさしいけれど、そのやさしさの使い方がうまくなくて、振り回されてしまう。

ジェンダー小説と帯には描かれているけれど、今の日本社会と「シンパシー」という感情をめぐる物語だととらえると、二重に身に覚えがあるものになるのではないかと感じた。この小説は別にそういうやさしい人たちをただ肯定しているわけではないけど、心当たりのある人は読んでみるとすごく良いと思う。心の奥に触れられるようでありながら、描写によって客観的にもなれるから。

 

夜はコロナウイルスについて情報収集。専門家会議の「クラスター対策」の解説 ――新型コロナウイルスに対処する最後の希望 という長いnoteがあり、それを読む。弁護士の方が筆者で、いわゆる専門家ではないのであまり情報を鵜呑みにするのは良くないなと思いつつ、クラスター対策については理解が進んだ気がするし、日本で感染者数が増えない理由も納得感があるものだった。

本文で書かれている「コロナウイルスの議論は、政治的な立ち位置によって受け止め方が変わる」という部分は本当にそうだなと思う。自分も少し前は政権への不信感から「検査数を減らしているから感染者の数が少なく見えているだけ」という論を信じ込んでいたけれど、そうして政治的な思想信条を強固なベースにして考えると、見落としてしまうことがたくさんあるのだと感じる。

これだけ改ざんや隠蔽を繰り返されている中で大きなものから発表された数字をただ信じるのは難しいし、実際そこにさまざまな力関係が働いていることは事実だろう。でも、その中で真実に近い数字や情報を見極めるしかない。

補償の対策など、もっとやり方あるでしょと怒るべきところもある。それはきちんとチェックしながらも、政治的な主張ではなく根拠や情報の確実性をもとに動きたい。きちんとアンテナを張り続けていなければ。

 

なんとなく自粛ムードも解けてきていて、インスタグラムではお花見のストーリーをアップしている人をたくさん見かけた。日本は外出禁止になるほどではないけれど、お花見って大丈夫なんでしょうか……。屋外で空気は循環しているし、人との距離などをきちんと保てば大丈夫なのかな。

でも、このままなんとなくいつも通りに戻ったら、何かのはずみで爆発的に感染が広まってしまうんじゃないかと思うと少し怖い。