ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

あっという間[2021年11月30日(火)晴れ一時雨]

昨日まで4泊5日の長野取材だった。起きてから荷解きをして洗濯。その前も文フリなどで忙しかったし今日はゆっくりしようと思っていたのだけど、出張中にできなかった細かい作業がたまっている。それをこなしていたらあっという間に時間が過ぎていってしまった。

 

午前中はサボっていた出張中の日記。今回の出張は松代と戸隠の取材で、観光スポットの紹介をしつつ自分の主観や感じたこともある程度書ける。メモは取っているし、あとからスポットごとに整理しようと思っているので、日記に書くのが二度手間になるように感じて億劫だった。結局筆が進まず、原稿に書きそうなことはさらっと流れだけわかる程度にとどめ、あとは本当に個人的なことを書き残す。

例えば二日目の松代で見た景色。朝は雨が降っていたけど、取材をはじめた直後に一気に晴れた。山の頂上を隠していた灰色の雲が去ると、ちょうど雲がかかっていたところだけ白く雪が積もっていた。

それから最終日の戸隠五社巡り。よく晴れているもののもう深いところでは雪が数十センチ積もっていて、社務所で借りた長靴に履き替えて歩いた。中社から奥社へ向かう道で、ガイドの方が「皆さんをご案内したいところがあります」と、足跡のほとんどついていない雪道を進みはじめる。歩いているうちに体があたたまってきて、ダウンの前を開ける。ペットボトルのお茶を飲むと、自販機で買ってすぐの時よりも冷たくておいしい。ガイドの方が立ち止まって、左手を見ると真っ白に染まった峻険な戸隠山が目の前にあった。人もおらず、雪でしんとした静けさの中で、一人がキツツキの存在に気づく。木の表面を突く硬いくちばしの音だけが断続的に響いていた。

 

前泊の日に県立美術館で見た、「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」も素晴らしかった。唐招提寺御影堂の障壁画68面を、実際の唐招提寺の造りを部分的に再現して一挙に展示している。最初に見ることになる『濤声』の青色に打たれる。屏風絵だけではなく補助線がたくさん引かれた設計図や下図、練習のためのスケッチも多く展示していて、それらを行ったり来たりしながら全体と細部を交互に見た。そうすると、まず圧倒的な観察眼があり、その上で緻密な計算と準備をして臨んだことがわかる。描くことの前に見ることがある。

「波頭」「海風」など、スケッチの題名に情感があるのもよかった。静止画として描いたものではなく、自然の瞬間を捉えたものなのだということが伝わってくるし、それを受け取ると、絵が動き出すような感覚にもなった。

 

5日分の日記をさらさらと書いたあと、新しい日記本の通販用のページ*1を作ってSNSで宣伝。夕飯の食材を買いに行きがてら家賃や健康保険などのためのお金を下ろし、出張前に作っておいた豚キムチをそうめんに混ぜて食べる。また少し仕事して、日記本を「日記屋 月日」やさっそく買ってくれた人に送るため梱包。一通り終わったらもう17時だった。

 

ニュースで立憲民主党の新代表に泉健太氏が選出されたこと、オミクロン株のことなどを少し読む。忙しかったこともあると思うけど、11月は自分でも驚くほどニュースを追えておらず、また本も読めなかった。立憲民主党の代表候補者の政策も調べていなかったので、泉健太という人がどういう人なのかもよくわかっていない。SNSを見ると、喜んでいる人とめちゃくちゃつらそうにしている人がどっちもいる。時間や余裕がないとこういう「人の声」に自分の意見が左右されやすくなるから、ほどほどに見てやめた。

オミクロン株のニュースは、国内で初確認されたというものと、モデルナ製のワクチンはあまり効かない、というもの。収束していた今が特別で、また夏頃のように感染が一気に増えていくのだろうか。新しい株にワクチンがあまり効かず、いたちごっこになる可能性があるのはわかっていたけど、実際にそうなるとしんどいものがある。

しかし12月は人と会う予定をかなり入れてしまっている。久しぶりの人との約束も多いからできれば会いたいけど、状況を見ながらになってしまうかも。

 

本当はサウナに行って頭と体を休めたかったのだけどもう夕方で、往生際悪く出かけてみたものの雨が降ってきて気持ちが萎えた。家に戻って夕飯を作る。ナスと鶏胸肉の黒酢煮、キャベツの塩昆布和え。味付け、具材の切り方の雑さなど、我が家のご飯だなあと思いながら食べた。夜は時間があったのに本を1ページも読まなかった。11月が終わる。

 

今日の新規陽性者数は21人、現在の重症者数は6人、死者1人。

*1:こんな感じで本にまとめました。

文学フリマ[2021年11月23日(火)晴れ]

少し早く起きたせいで時間が余ってしまった。身支度をして軽い朝ごはんを食べたあと、まだ寝ている恋人にちょっかいを出したりしつつ、忘れ物がないか確認する。今日は文フリの日。新刊を詰めたトートバッグを試しに持ったりもしてみる。前回よりも多めの部数を持っていくからスーツケースで行こうと思っていたはずが、前日にうまく詰めないことが発覚した。変な隙間ができて本が安定しないし、幅が狭くて平積みできず、途中で表紙などが折れてしまいそうだったのだ。

印刷所から送られてきた段ボール(中にはみっちり新刊が詰まっている)を、試しに手持ちの中で一番大きなトートバッグにそのまま入れるとぴったりだった。ぴったりすぎて、布地の表面に段ボールの角が浮いて尖っている。布地に穴が空いたら嫌だなとか思いつつ、届いた時は緩衝材が入っていた上の部分にもさらに本を詰めていく。コロナも落ち着いていて人がたくさんきそうだし、たくさん持っていきたい。トートバッグがいっぱいになったら、無印良品のリュックにも念のため新刊を10部ほどと、旧刊を詰めた。背中と肩がずっしり重い。

 

9時半過ぎに出発。途中でコンビニに寄って、旧刊につけているふろくペーパーを印刷する。途中の山手線で出展者と思われる方がいて、どんなふうに荷物を運んでいるのか観察する。その人はスーツケースではなくアウトドアなどでよく見る折りたたみ式のキャリーカートに、本を詰めたプラスチックケースを載せて運んでいた。これはかなり便利そう。同じ浜松町駅で降りる。

東京モノレールは文フリに向かう人と羽田空港に向かう人で混雑していて、みんなだいたい大きな荷物を持っている。一緒にブースに立ってくれるMとホームで偶然合流。乗車して、「モノレール好きなんだよね」「わかる」といった会話をする。「前にも話したかもしれないけど、上京した日に羽田からモノレールに乗って〜」という話をしてくれて、それはまさにちょうど1年前に一緒に文フリに出展したときに聞いた話だった。「そうね。聞いたね」と笑いつつ、大切な記憶なんだなと思う。

 

流通センターに着いてブースの設営。といってもそんなに大したことはなくて、パイプ椅子を広げて机に本を並べ、手前にMが作ってくれた新刊のポスターを貼るだけだ。ボランティアの方が椅子と机を用意しておいてくださったおかげ。ポスターは表紙のデザインをより強調したもので、並べて貼るとなかなか目を引くブースになったと思う。

開場までの間、雑談しながらふろくペーパーを折り、旧刊と新刊、それぞれの本の最後に挟み込んでいく。新刊のほうは前回の日記にも書いた通り自信がなかったので(内容に自信がないというより、蛇足にならないかという点で迷っていた)、まずMに読んでもらった。不安をかき消すような感想を言ってくれて、よしじゃあつけようか、とようやく腹が決まる。

二人で粛々とペーパーを折り、挟みながら、人に相談して何かを決めることについて考えていた。よく「背中を押す」などと表現されるけれど、この表現にしっくりきたことがあまりない。(危なくない?)と、なぜか駅のホームなどにいる感じで思ってしまう。個人的には「責任を〈持って〉もらう」という表現が、一番近いと感じる。ただ、それはいわゆる責任を負わせるということとは違っていて、物質的に持ってみてもらうイメージ。ボールペンの書き心地や、楽器の音色を確かめるみたいに。そして、感じたことを伝えると同時にすべて返してくれたらいい。私が人に相談を受けた時も、そんなふうにできたらいいなと思う。

 

もうすぐ開場の時間だった。はじまる前にトイレへ行こうと外に出るとものすごい行列で、戻ってMに「すごい行列だったよ」と伝える。そしてすぐに「行列がすごいんで、少し早いけど開場します」とアナウンスが流れて、入り口のあたりが賑やかになる。
開場後は一気に人が流れ込んでくるイメージがあるけれど、コロナ禍なので検温、手指消毒、COCOAの確認などがあるので、場内に人が滞留するまではタイムラグがある。さらに私たちのブースは入り口から遠い壁際なので、最初のうちはあまり人が来なかった。

はじまる前は胃が痛かった。だけど緊張している実感がなくて、本当は緊張しているから胃が痛いのか、胃が痛いのを緊張から来ているものだと解釈しているだけなのか、よくわからないなと思う。どちらにせよ、1時間もすれば痛みは感じなくなっていた。途切れず、というほどではないけれど、けっこう足を止めてくれる人が多くて、なんだかんだと忙しかった。

知人や友人、どこかで私のことを知って来てくれた人、たまたま足を止めてくれた人、さまざまだけどそれぞれにうれしい。私が数年前に書いたブックレビューを読んだという人が(おそらく偶然通りがかって)「こんな記事書いてましたよね。あの本買いました」と言って日記を買ってくれたり(うれしいし、数年前に読んだウェブ記事の筆者の名前を覚えてるって、その記憶力が単純に羨ましい。私は人の名前を本当にすぐ忘れてしまう)、インターネットでは面識があるけど対面したことがなかった人が遊びに来てくれたり、本当にたくさんの人と話すことができた。

けっこう真剣に立ち読みしたあと買わずに立ち去って、ダメだったか〜と思っていたら数時間後にまた来てくれた人のことも印象に残っている。その人は500円玉2枚を差し出しながら「今日、財布忘れちゃって。友達のブース手伝ったお小遣いで吟味して買ってるんですよ」と話してくれた。最高すぎる。文フリでそんなほっこりエピソードに遭遇できるとは思わなかったし、吟味して選んでもらえたのもありがたい。

「表紙が/ポスターが気になって」と足を止めてくれた方もたくさんいた。「目立ちたい!」と、目に付く黄色を多用したおかげだ(黄色なのは目立つためだけではないけど)。デザインをしてくれたMが隣にいるので「彼が作ったんですよ」と紹介できるのもうれしかった。

 

自分も知り合いや気になっているところなど、いくつかのブースへ行く。でも、まわるのは最小限。自分がいないときに誰かが来るかもと思うと、その人と話したい気持ちが上回ってしまうのだった。そうしてあっという間に17時。段ボールに詰めていたぶんはすべて売れて、念のためで持ってきていたぶんがなかったら足りなかった。それだけ多くの人が手に取ってくれたんだな、と思う。満ち足りた気持ちで閉幕。運営の方のアナウンスが流れ、出展者みんなで拍手。

 

帰りのモノレールがキキララのラッピング電車で、外側に電飾までついてるしかわいすぎてはしゃいで写真を撮る。だけど混雑していて、あまりいい角度では撮れなかった。新宿まで出て、Mと少し打ち上げ。やらないといけない仕事などもあったので早めに解散して、充足感を胸に家へ向かう。

 

今日の新規陽性者数は17人、現在の重症者数は8人、死者0人。

通り過ぎて[2021年11月19日(金)晴れ]

9時前、新しいZINEが印刷所から届く。はじめて利用する印刷所で、色校を出さなかったので少しどきどきしながら開封する。開けた途端、鮮やかな黄色がはっきりと目に入って安心した。ディスプレイで確認していたものと同じだ。

さっそく写真を撮ってMに送る。すぐに返信が来て、「アラベール(紙の種類)独特の表面のテクスチャが効いてていいのでは」とのこと。今回のZINEは表紙に使っているフルイドアートを一緒にやったり、Zoomをつないで私があれこれ好きなことを言うのを画面共有しながら反映してもらったり、一緒に作った実感が前回よりも強くあった。そのぶん思い入れも強い。

自分みたいな無名の人間の日記を手に取ってくれる人は多くないし、一見さんに届くかどうかはデザインとタイトルがほぼすべてを決めると思っている。今回はけっこうインパクトがあるデザインだけど、どうだろう。緊張するけど楽しみ。

 

校了が迫っている雑誌の作業。原稿を書く以外の細かい作業が多く、なんだかんだで午前中をまるっと使ってしまった。午後からは、ZINEにつけるあとがきのようなテキストを書く。なんだか日記に書いたことを裏切るような内容になっている気もして、果たしてこれをあとがきとしてつけるのが正解なのかがわからない。今度は日記じゃない文章をまとめたものが作りたいと思っているから、そっちに収録したほうがいい気もしている。迷うけど、完成させておけば土壇場でやめることはできるし、と思ってとりあえず書いておく。

 

17時半から1ヶ月ぶりに肛門科の病院へ。待合室にはもみの木が飾られ、オルゴール調のクリスマスソングがずっと流れている。もうそんな季節なのかと動揺。なぜかいろんな年のクリスマスのことを一気に思い出してしまい、若干情緒が不安定になる。

経過は順調だそうで、「次で最後にできるかどうか、ですね」と先生。手術やその後のケアは大変だったけど、コロナでなかなか出かける機会も少ない中で通院がちょっとしたリズムを作っていた側面もあり、終わるとなると少し寂しい。最初に病院に来たのは5月のことだった。

 

病院のすぐそばには有名なパン屋があって、いつもは行列ができているけど今日は誰も並んでいなかったのではじめて入ってみる。終わりが近づいてちょっと寂しくなったことも背中を押したと思う。夕方だったので、人気のパンは売り切れてしまっているよう。フランス食パンや、チョコが練り込まれた小さめの角食パン、あんバターフランスなどを買う。どれも中身が詰まっていて、ずっしりと重い。明日恋人と一緒に食べようと思う。

 

ポッドキャストのOVER THE SUNで「みんなでヒヤシンスを育てよう」というプロジェクトが動き始めていて、私たちも育てたいと思っているのだけど、なかなか球根が手に入らない。「#ヒヤスンス」を探して新宿の京王百貨店の屋上にある園芸店を覗いてみるも見つからなかった。今日最新回が配信されたと思うけど、せめて球根が手に入るめどが立ってから聞きたい。別のものにしようと考えていた時になんとなく思い当たって、久しぶりにエイミー・ワインハウスを聴いた。新宿の街を歩きながら聴く。世界堂へ向かう途中、flagsのあたりに人だかりができていて、みんながスマホのカメラを構えている。何かと思って見上げると、薄い雲にまぎれておぼろげな月が浮かんでいる。今日は(ほぼ)皆既月食なのだった。

人通りの多い新宿を歩きながら、自分も時々見上げてみる。街灯の強い光がまっすぐ目に入って見失うこともあったけど、その感じも含めて東京で見ている感じがした。世界堂であとがきを印刷するための紙を探して(せっかくなので表紙に合わせて黄色い紙に印刷したい)、別の用事で高島屋のほうへ歩く。途中、路地でスマホを構えている人がいたので視線の先を見てみるとやっぱり月蝕で、だけどさっきよりも月が膨らんでいる。

 

その後も建物に入って用事を済ませて出るたびに、移動するたびに月を探した。最初の頃は誰かがスマホをかざしているから見つけやすかったけど、ある時カメラの先を追ってもただビル群とか「JR新宿駅」の看板があるだけ、ということが続いて、自分で夜空を探す。どこも欠けていないただの月が浮かんでいた。

角を増やす[2021年11月16日(火)晴れ]

最近はこまごまとしたタスクが次々に発生するので、目の前のことをどうにかこなすだけで一日が終わってしまい、その先の仕事/すべきことにたどりつけない。頭が細かな粒状のものでぎっしり埋められている感じで気持ちが焦っていて、今朝もそわそわしながら目が覚めた。シャワーを浴びて、コーヒーを淹れてから仕事をするのが自分のルーティンなのだけど、その時間が惜しい気がして起きてすぐ仕事に取り掛かる。ルーティン通りに動いた方が絶対にしゃきっとしていいはずだと頭の中ではわかっているのに、そうしてしまった。自分の意思というより、何かにせきたてられてそうせざるを得ないような感じだった。余裕がない。

 

昼過ぎまで事務的なメールや書き物。間にシャワーを浴びたりコーヒーを淹れたりする。ぎりぎりまで仕事をして、出かける準備をして表参道で取材1件。

取材中から胃のあたりに膨満感があり、お腹に血液が集まっているようで頭がぼーっとしていた。プールに行こうと思って水着を持ってきたけど帰った方がいいかな、と少し迷って、結局行くことにする。ぼーっとしているのは日中の仕事の疲れもある気がして、こういう時こそ体を動かそうと思った。冷たい水に触れたかったというのもある。そうして泳いでみたのだけど、最初は良かったものの次第に腹部の苦しさが強くなってきて、胃液のようなものがこみ上げてくる。体が横向きになるのがいけないのかと思って少し歩いてみるも、余計に気持ち悪い。無理しない方がいいなと思って、1kmほどで退散した。残念だけど仕方ない。

 

帰り道、カイリー・ミノーグを聴きたくなりApple Musicで検索する。聴きたくなったのは今日の『ジェーン・スー 生活は踊る』の「相談は踊る」のコーナーで、相談者のラジオネームが「カイリーマドンナさん」だったため。カイリーマドンナさんは34歳のゲイの男性で、「マッチングアプリで知り合った男性と今度会うことになったのだが、プロフィールをみた限り相手には彼氏がいるように思える。会うのは誕生日の前日で、このままでは誕生日がお通夜になってしまいそう」という相談だった。

マッチングアプリで会うことになった相手に実はパートナーがいそう、というのは性的指向にかかわらずある(と思われる)問題なのだと思う。その点を普遍化しつつも、今回の相談の細部には「ゲイ」でしかないコードがそこかしこに埋め込まれており、スーさんもわかって応答していて、それがとても愉快だった。

カイリーマドンナさんというRNはわかりやすく2人のポップアイコンの名前を組み合わせたもので、その流れを汲みながら「こてんぱんにやられたあとグロリア・ゲイナーの『アイ・ウィル・サバイブ』を聴きながら立ち上がれ。創造と再生は破壊なしには生まれない」とか言ったり、「筋トレに身が入りません」と言っているカイリーマドンナさんに「いつもより一回多くベンチプレス上げてみなさいよ」とか言ったり。

人によってはこれのどこがどう面白いのか分からないかもしれないのだけど、自分にとってそれは説明を一切抜きにして理解できる会話だった。文化なんだよな、と思う。自分は決してその中心にいたことはないのだけど(そしてそこにはルッキズムやゲイなりのホモソーシャルが根強くあり、必ずしも良く思っているわけでもないのだけど)、愛すべきものでもある。

たまたま最近、過去にプライドパレードでほぼ下着姿のゴーゴーや派手な化粧をしたドラァグが街を歩くことに「かえって偏見を助長する」「理解を呼びかけるなら普通の格好で、普通の存在であることを訴えた方がいいのでは」といった批判が(LGBT当事者から)寄せられたことについて思い出していたのだけど、今日の放送を聞いて改めてそういうことではないよなあと思う。(マジョリティと)同じなんです、と訴えるのではなく、違う文化や性質を持っているけど同じ社会にいます、と知らせて、そういう存在を増やしていく方が良い。一方でLGBTドラァグやゴーゴーみたいなミスリードは起こりうると思うので、それはそれで別の表現が必要なのだと考える。実際、自分がこうして日記を書く時にも、多角形の角を一つ増やすような意識が少なからずある。

 

そうしてカイリーを聴こうと思ったらイヤーズ&イヤーズとのコラボシングルがリリースされており、おっ、と思ってイヤーズ&イヤーズのページに飛んだところ、年始に新しいアルバムが出るそう。ジャケットはオリー・アレクサンダーのマーメイド姿で、やりたいことやってる感じで笑った。ニューアルバムを「妊娠報告」というかたちで発表し、インスタにセレブみたいなマタニティフォトをアップしたLIL NAS Xもそうだけど(こちらは批判もあったが)、みんな好き放題で元気出る。ダイバーシティでピュアなイメージを担わされているのを見るのはもう食傷気味なので、人によっては拒否反応がありそうなくらいのものが見たい。

 

ゲイな気分の高まりを感じながら帰宅。家にあるもので適当に夕飯を作ろうと思っていたけど、どうしてもニラ玉が食べたくなり(ニラ玉とゲイに関連性はないと思う)スーパーでニラを買う。帰ってすぐ夕飯。夜は少し仕事を進めたいと思っていたけど、力尽きて何もできなかった。

 

今日の新規陽性者数は15人、現在の重症者数は10人、死者0人。

過去みたい、未来みたい[2021年11月11日(木)晴れ]

午前中から取材で渋谷へ。取材チームが10人くらいの大所帯で、多くて4,5人くらいかと思っていたのでちょっとおののく。そして全員黒やネイビーのスーツを着ていて、モスグリーンと黄土色の中間みたいな色のコンフォートジャケットを着てきたことをものすごく後悔する。1人だけ完全に悪目立ちしていた気がする。

たまにがっつりビジネス系の取材が入るのだけど、ちゃんとしたスーツを持っていなくて、毎回どこかごまかしたような服装で取材へ向かっている。ネクタイもできるだけしたくなくて、冬はタートルネックのセーターなどを着るし、夏は「クールビズですが」という顔でのらりくらりとかわす。春と秋が一番逃げられなくて、今は秋。(まあなんとかなるだろ)と思って着て行ったら全然だめだった。

さらにこういう取材の服装はカメラマンの人だけは治外法権であることが多い気がしていて、いつもなら(私も心はそっちです!)と自分を正当化しているのだけど、この日はカメラマンの方も黒のジャケットを着ていた。全方位的に追い詰められ、いよいよスーツを買うか……と観念するみたいに思う。今回のようなしっかりした取材では自分が一番年齢が下であることもまだ多いので、個性を出すより埋没していたほうが色々と楽だし。でも、スーツってよくわからないし手入れも面倒くさそうなんだよな……本当に毎日スーツを着ている人ってどうしているんだろう。どういうものを買っているんだろう。

 

取材を終えて近場で昼ごはんを食べて、宮益坂エクセルシオールで仕事。コロナが比較的収まっている今はこういうことも気兼ねなくできて、2019年みたいだなと思う。やっぱりたまに外で仕事すると良い気分転換になる。文字起こしとプロットの作成をしたけど、家だったらだらけてプロットの作成は後回しにしていたんじゃないかと思った。後ろの席に女子高生2人組が座っていて、ひとりがもうひとりにずっと世界史の流れを解説してあげていた。

 

外に出るともう日が暮れかかっている。行きたい店があったので表参道のほうまで歩いて、用事を済ませて原宿へとさらに歩く。道中、K-POPグループのaespaを聴いていた。先日会ったK-POPにはまっている友人から「今年のガールズグループはaespaを聴いておけばいいから」と言われ、その場で『Savage』という1stミニアルバムをライブラリにダウンロードした。最初はよくわからなかったけど新しい感じがしたので繰り返し聴いていたら、だんだん良さがわかってきたのだった。音がメタリックで、夜の原宿や表参道のあたりを歩いている時に聴くとより良い。未来的で、違う都市にいるような気持ちになる。ミニアルバム4曲目の「YEPPI YEPPI」が好き*1

 

帰りの電車でグループについて調べる。Wikipediaには“メンバーには仮想世界「FLAT(フラット)」において、インターネット上の自分を象った『もう一人の自分』であるアバター「æ(アイ)」が存在している。メンバーとæは「SYNK(シンク)」を通じてお互いをリンクすることができる他、「P.O.S」と呼ばれるシンクホールに通うことで、現実世界と仮想世界を行き来する「REKALL(リコール)」を行うことができる”と書かれていて、よく意味がわからない。もう少し調べて、aespaの世界にはSYNKを妨害し世界を混乱させているブラックマンバという蛇がおり、そのブラックマンバを倒すためにメンバーは奔走している、という設定なのだと把握した。把握したが、依然としてよく意味はわからない。

 

帰宅後、ミニトマト、豆、きゅうりのマリネを作りながらMVをいくつか見る。たしかに蛇がやたらと出てくる。あと「Savage」のMVではメンバーのアバターも。これがメタバースの時代のアーティストなのか。メタバース、興味ないしよくわからないなと思っていたけど、ちょっと見方が変わった。aespa、まだ全然よくわかっていないけどこれはかなり革新的なことをしているのかも*2

 

今日の新規陽性者数は31人、現在の重症者数は9人、死者1人。

*1:このリンクは公式のYouTubeチャンネルのものだけど、別にファンによる和訳動画もある。そこのコメント欄に「f(x)っぽい」と書かれていて、f(x)の「4 Walls」好きだったな〜!と思い出したりした

*2:革新的だから注目している、というのはあくまでも一部なのだけど

交差地点の記憶[2021年11月8日(月)晴れ]

なかなか起きれず、いつもより2時間近く遅く活動開始。会社に行く前に一つ仕事を終えたかったけどそんな時間もなく、バタバタと出かける支度。会社に着いて、16時ごろまで仕事。本当は原稿Aの修正作業をしようと思っていたのだけど、赤字コメントの語気が厳しく感じられて心が折れてしまい、明日やろうと思っていた原稿Bに着手する。最近長い文章が書けなくなっていることもあって一日がかりになると覚悟していたのだけど、案外スムーズに進んで、3時間で7割ほど書くことができた。少しだけ自信を取り戻す。

 

丸の内線で新宿まで出て小田急線に乗り換え。途中、JRの改札口付近で何度も人とぶつかりそうになった。緊急事態宣言中に雑踏を避けていたせいで、人混みを歩くのが下手になっている。私だけではなくて他の人もみんな下手になっている気がするのだけど、どうだろう。この場所はJR利用者と丸の内方面から小田急方面へ向かう人が直角に交わるので、もともとかなり歩きづらいのだけど、いつも以上にそう感じる。

小田急線沿いにあった実家から会社に通っていた時、この交差地点が本当にストレスだった。自分も含め、歩いている人たちの大半に余裕がなくて、早く目的地に着くことだけを考えている。灰色の空気が出口なく滞留している感じで、誰かにぶつかった時は人というより焦りとか攻撃性とか、そういうネガティブな感情そのものとぶつかったような気持ちになった。

一時期は(これは一種の弾幕ゲーだ)と、無理やり楽しさを見出そうとしたこともあった。一週間くらいは気が紛れたのだろうか。そうしようとして、いつの間にかもとに戻った、ということしか今は覚えていない。

 

下北沢で下車。長いエスカレーターで地上へ出る。出版社へ行き編集で関わった雑誌の入稿ゲラをチェック。「何度チェックしても残ってるんですよねえ(誤字が)」と話したり、畑で収穫したというさつまいもとゆずをもらったりした。いいなあ畑、と思う。こうして作物を人にあげられるのはすごく憧れる。しかし自分にできる気がしないので、ベランダでミニトマトとか、まずはそこからはじめたい。

 

昼食を食べ損ねたのでお腹が空いていて、かなり久しぶりに家系ラーメンの店に入る。最初の数口はおいしかったけど、次第に(なんでこれ食べたんだろ)という気持ちに……若干胃もたれもしている。スープを半分残して席を立った。しかし忘れた頃にまた食べたくなるのだろう。

 

帰宅して、水を飲もうと冷蔵庫を開けたところでケーキがあったのを思い出す。昨晩恋人と記念日のささやかなお祝いをしたのだけど(記念日自体は今日)、欲張って一人2個ずつ買ったのが残っていたのだった。家系ラーメンで胃が重いよとか言いつつ、しっかり食べる。甘さの強いケーキなので、カフェインレスのホットコーヒーがちょうどよかった。

 

今日の新規陽性者数は18人、現在の重症者数は10人、死者1人。

心以外の[2021年11月5日(金)晴れ]

朝のうちに文字起こし1件。最近あまりご一緒できていなかった人との仕事で、ビジネス系の内容。最近また色々と考え込むことがあって調子が悪かったのだけど、この文字起こしをしていたら少し楽になった。人の心とか、感情とか、倫理みたいなものを深く考えずに済む内容だからだと思う。もちろんそういう内容でもなんらかの倫理観は求められるし、人間が関わる以上心は介在するけど、人文的なものとビジネス的なものではやはり気の持ちようは大きく違う。

人文系やカルチャー系の仕事をもっと増やしたいな、と思う一方で、そればかりになったら私は持たないだろうな、とも考える。心から少し距離を置いた仕事があることで、バランスが取れている。それに、私はてにをはを入れ替えることでニュアンスを変化させたり、短い文字数に情報を詰め込むために削れるところを探したり、そういうのがゲームみたいでけっこう好きなのだ。簡潔で読みやすく、それでいて的確な文章を目指すことはそれ自体が楽しい。その「文章のために文章を磨く」みたいな作業、あるいはスキルは、どの分野でもけっこう役に立つので、それが楽しめているうちはライターの仕事を続けていけるだろうなと思っている。

 

ブックレビューの準-原稿を1本作って、15時から取材。そのあと、すぐにその取材の文字起こし。終わったあとで日記を書く。ここ数日、また日記が全然書けないモード。薄目で流し見するみたいに昨日を思い出し、覚えていることだけをEvernoteにさっと残す。その日考えたことや感じたことについて深入りしないようにしているし、ちゃんと言いたいことを言葉にできているのか、文章として成立しているのかなども気にしないようにしている。というか、そうできなくなっている。ついさっき「簡潔で読みやすい文章が〜」などと書いたばかりだけど、今の自分は長い文章が書けないモード。多分、調子が悪いことに加えて、こまごまとした仕事が多くて、頭がきちんと整理できていないせいだろう。11月は10月と比べて少しゆっくりできると思っていたのだけど、なんだかんだでけっこう忙しい。体制を立て直す前に次の波が来てしまったような感じで、頭が休まらない。この日記もとりあえず書いているけど、よく読むと変なところがたくさんあるのではないかと思う。

 

日記を書いたあとは「ハライチのターン!」を聞きながらアイロンがけ。先日、ようやく衣替えに着手できた。夏物のシャツにアイロンをかけてクローゼットの奥にしまう。今年は季節感なく過ごしているけど、ようやく完全に夏が終わった、と思う。

 

夕方から外出。週の初めごろに突然肌が荒れて、両頬にたくさんにきびができている。不織布がこすれてかゆい。15分ほど歩いて、久しぶりにプールへ。手術をしてから控えていたので、1ヶ月半ぶりくらいか。手術をした傷のところがしみるんじゃないかと不安だったのだけど、浸かってみてもなんともなかった。体も思っていたよりはなまってない。すぐに息切れしてしまうんじゃないかと予想していたけど、呼吸はまったく問題なくて、息切れするよりも先に筋肉が疲れてしまった。10〜15分泳いだだけで腕にも足にも疲れが出てきて、スピードが出ない。しかしもう夏に比べてプールも空いているので、ちんたら泳いでも特に誰かに迷惑をかけることはなかった(と思う)。

合間に休憩を何度か挟みながら、1200メートル泳いだ。最近調子が悪かったり、頭の中が余計な情報でいっぱいのように感じたりするのは体を動かしていないせいでもあるのではないかと思っている(それは半ば願望のようなもので、実際はそんなにわかりやすいものではないと理解しているのだけど)。来週も時間を見つけて泳ぎたい。

 

恋人は転職したばかりでいきなり繁忙期に突入しており、連日帰りが遅い。昨日作った麻婆豆腐などがそのまま一人分残っているので、彼の夕飯はそれを食べてもらう。私は自分のためだけに食事を用意するのも面倒で、プールの帰りに適当に牛丼を食べた。

 

今日の新規陽性者数は25人、現在の重症者数は12人、死者1人。