ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

スーパーをはしご[2021年6月12日(土)晴れ]

9時過ぎ、先週の血液検査の結果を聞くために病院へ。行く前に恋人に「悪性リンパ腫だったら『ガーン』ってLINEするね」と言ったら、「いやー、ほんとやめて」とけっこう本気で嫌がられる。「大丈夫だよ〜」と返すも、感情の乗った反応によって現実味が増してしまって、こちらまで心配に。自分としてはまったく気にしていないと思っていたのだけど、そうではなくて心の奥底に静かに沈殿していたものがあったのだと気づく。水槽をかき混ぜて砂利が浮かび上がるように不安が顕在化。だけどごく一時的なもので、病院へ向かう道を歩いているうちにまた他の気持ちと一緒に沈んで静かになっていった。

 

開院したばかりの病院は混んでいて、呼ばれるまでに時間がかかりそう。この間に荒井裕樹『まとまらない言葉を読む』を読み終える。どの話も良かったけれど、全編を通して平易な言葉で書かれていることが印象に残った。専門用語が出てこないというだけではなくて、属性がないというか、何かに最適化されていない言葉で書かれている。だから自分にも水のように染み込んでいったし、読む人の思想やスタンスに関係なく等しく届いていくんじゃないかと感じる。多くの人に手に取ってほしい本。

 

血液検査の結果は、気にしていた点は異常なし。「炎症反応が少しだけ出ているから、おそらく細菌が入ったんでしょう」とのこと。まず大丈夫だろうと思っていたけど、ちゃんと結果が聞けてよかった。

しかしほっとした瞬間、先生が「あ、言い忘れていたけど中性脂肪が高い!」と言ってきて、ノーガードのところにくらったような気持ちに。数値を見ると、基準値が50〜149のところ400を超えている。食後すぐに病院に行って採血をしたからおそらくそのせいだと思うし、結果にもそのようなことが書かれているけど、中性脂肪が高くて注意されるってちょっとショック。来年1月には30歳だし、生活習慣病が身近な年になりつつあるのだろうか。

3週間前の手術の時に受けた血液検査の結果は、いらないと思ってすぐに捨ててしまった。中性脂肪については特に何も書いていなかったと思うけど、とっておいたら見比べることができたのにとちょっと後悔。フリーランスだから健康診断は自主的に受けようとしない限り機会がなくて、去年はコロナもあって検査せずにいた。今年はどこかのタイミングで念のため行くべきか。

 

帰ってきて、12時から座談会の収録。今日の私は司会進行。1時間ほどで終えて、そのあと2時間打ち合わせする。思っていたよりも長引いてしまった。遅めの昼食に、恋人が買っておいてくれたケンタッキーをトースターで再加熱して食べる。さっき中性脂肪の値が高くてへこんだのにファストフード……夕飯は工夫しようと思う。

仕事をしようと思ったのだけど、なんだか頭が働かないのでとりあえずスーパーへ買い出しに行くことに。夕飯は主食を魚にし、副菜は冷蔵庫に余っている食材を極力消費しようと決める。肉や野菜が新鮮で価格も安いが、魚はいまいちのスーパーAで大まかに必要な食材を買い、Aに行くようになってから足が遠のいていたスーパーOで、Aで買えなかったブリと海藻サラダを買う。Oは近隣のスーパーでは魚が一番新鮮だと思う。麦茶のパックが切れていたが、Oにはいつも買っているものがなく、仕方なくさらにスーパーTへ。3件もはしごしてしまったが、妙な達成感がありストレス解消になった。

 

散歩を兼ねた買い出しを終えてもまだ頭がぼーっとしている。仕事は明日にしようかなと半ば諦めモードだが、日記は今日書いておきたい。もう少し時間を稼ぐため、きのこと油揚げの炒め煮を作る。手を動かしたら少し頭が冴えてきたので、昨日の日記書き。やっぱりまた日記本を作りたいなと考えていて、そのために更新頻度をもう少し上げていきたい。今の頻度だと、日々の連続性が薄くてそれぞれが独立してしまっているように思う。

 

書き終えたあとブリの照り焼きで夕飯。食後は植本一子さんの日記『個人的な三ヶ月 にぎやかな季節』を読みはじめる。今年の1月から3月までの日記。そういえば年末年始に東京の感染者数が1000人を超え、1月頭に2度目の緊急事態宣言が出たんだったなと読みながら思い出す。

私もコロナの時期を記録した日記を作っているけれど、自分のZINEに対して「刻々と状況が変わるので、時間差で読むと違和感が強かったりしないのかな」と少し不安があった。5年後、10年後に読むのであればいいと思うけど、半年後、1年後だとうまく気持ちをチューニングできないのではないかと。でもこうして人の日記を時間差で読んでみて、そういうネガティブな違和感は全然なかった。読み手の現在と書き手の体験している時間・日常を常に対比しながら読んでいるわけじゃなくて、書き手の時間の流れに視線を重ねるようにして読んでいるんだなと気づく。

 

今日の新規陽性者数は467人、重症者数は46人、死者8人。

ようやく衣替え[2021年6月11日(金)晴れ]

今日はオンラインで取材2件。午前中にある1件目の取材の前に、今日提出の原稿の最終チェック。主に見出しなどを見直す。もっと良いものがないか考えているとデスク横の棚付きハンガーラックが目に入り、冬物のセーターと夏物のTシャツがごちゃごちゃと積まれた様子が気になりだす。天気がいいし、セーターを洗って衣替えをしてしまおうと思うも、その時点で取材がはじまる5分前。今から慌ただしく洗濯するのもなんとなく憚られ、取材後にまわすことにする。

 

1時間ほどで取材が終わり、セーターを洗濯機へ。長袖のシャツやスウェットを、クローゼットの中の夏服と入れ替える。

去年の夏は外出をしたり人と遊んだりすることがほとんどなかったから、着やすさ優先のわりとどうでもいい格好で過ごすことが多かった。一目惚れのようにして買ったシャツとか、少し高いけどあれこれ理由をつけて買ったシャツとか、去年はほとんど出番がなかった。

今年は着る機会があるだろうか、と思う。今洗っているセーターだって一応洗濯しているものの、正直別に洗わないでしまっても問題ないくらいの回数しか着ていない気がする。改めてコロナ禍が長く続いていることを実感。

 

次の取材の前に洗濯が終わったので、リビングの床に平干し。腕を広げた上半身が並んだようになり、このシュールな光景がちょっと好きだと毎年思う。正しいやり方なのかどうかもよくわからず、もっと省スペースでやる方法があるような気もする。でも、セーターを洗う日はたいていすごく天気が良い日なので、陽気のおかげもあって適切かどうかはすぐにどうでもよくなる。早く乾くように窓を開け、扇風機をつけて風通しをよくする。14時から2件目の取材。

 

取材を終えて洗濯物の乾き具合を確かめ、裏返したり、分厚いセーターを扇風機の風が当たる位置に移動させたりする。そのあと遅めの昼食。レンジでチンした冷凍うどんに明太子パスタのソースをからめたものだけど、ふと閃いて練り辛子を少し混ぜてみると、味に奥行きが出たというか、辛味の彩度が一段階上がったようになった。ごく少量なので実際の見た目には変化がないけれど、明太子のピンクに黄色を重ねて明るいオレンジに近づいたようなイメージ。恋人が帰ってきたら教えよう。

 

食べながら録画していた『NHK MUSIC SPECIAL 東京事変~人類と快楽~』。『ガッテン!』などの人気番組とのバラエティ・トーク部分は正直あんまり……という感じだったけど、ほぼオリジナルのアレンジで披露した「丸の内サディスティック」は自信に満ちていて格好良かった。

今週はニューアルバム『音楽』をよく聴いている。「一服」が特に好き。2分程度の短い曲で、いつも繰り返し聴いてしまう。そしてなぜか大豆田とわ子のことを連想する。全然違うのだけど、都市的で景気が良いものをあえて作っているところ、ユーモアと優しさが同居しているところ、責任を背負って踏ん張る人の姿が暗に明に写し取られているところに同時代性を感じる。アルバム発売前、坂元裕二がインスタのストーリーにCDをアップしていたのを見たせいもあるかも。

 

それからまた仕事。恋人が思ったよりも早く帰ってくるようなので、一旦切り上げて夕飯の支度。恋人からLINEでワクチン接種に関するニュースが送られてきて、見ると私の住んでいる杉並区は来月13日から若者世代への接種を進める、という内容。夏以降になると思っていたので驚く。

昨日は母が第一回目のワクチンを接種してきたそうで、無事に終わったか、どうだったか、LINEでやりとりしていた。食後に見ていたニュースでは、日本のワクチン接種率12%との報道。私が前に見た時ってほんの数%だったから、それに比べると格段に伸びている。自分の認識が「供給が足りない」で止まっていたらしいこと、実際は「供給はあるが、接種をどう進めるかで試行錯誤が続いている」という段階にあることをはっきり実感。最近ずっと忙しくてニュースを追えていなくて(時間がまったくないわけではないけど、疲れていてついあんまり考えなくていいコンテンツにばかり手が伸びてしまう)、まずいなあ。しかしそんなあんまり情報が追えていない自分でも、今オリンピックを開催するのが正気の沙汰ではない、ということははっきりとわかる。

 

今日の新規陽性者数は435人、重症者数は51人、死者8人。

病院をはしご[2021年6月5日(土)曇り]

病院へ向かう途中、電車の中で先生に聞きたいことを整理する。「あれこれ聞いたらめんどくさがられるだろうか」という考えが脳裏をよぎったあと、今かかっている先生は物腰が穏やかで、わからないことや不安なことにもかなり丁寧に答えてくれるから大丈夫、と思い直す。

 

気になっていたことは3つあったのだけど、そのうち2つは聞けた。が、「先日円座クッションを買ったのだけど、使っているとかえってつらい気がする(のだが、やめたほうがいいか)」という3つめの質問は遠慮してしまった。ネットで調べると逆効果だとするレビューもいくつかあって評価が割れているので、先生の判断を知りたかったというのはあるのだけど、自分がつらいと感じるならそりゃ使わないほうがいいだろう、と自己解決した。

でもなんか、たしかに「別に聞かなくていいこと」ではあったのだけど、これは「別に聞いていいこと」でもあるはずで、それなのに聞かないほうを選んだのはなんでなんだろう。(またコミュニケーションのコストを節約したな)と、自分の悪癖が出てしまった気がして落ち込む。円座クッションについて聞けなかったことは別にいいけど、それが自分の癖(しかもあんまり良くないなと思っているところ)に紐付いているとわかると、芋づる式に色々思い出してしばらく引きずってしまう。

 

次に病院に来るのは2週間後。薬局で薬をもらい、駅のサンマルクカフェで仕事。最近、またカフェで仕事をするようになった。家で仕事をするのも特に苦ではないのだが、たまに場所を変えるとリフレッシュできていい。作業量は多くないけどなんとなく気が重くて先延ばしにしていた仕事なんかは、場所を変えて気分を切り替ると着手しやすいし、集中して一気に進められる。今日もそういう類の仕事をこなす。

1時間ほど作業。サンマルクの椅子が固くて、思うように集中できない。患部をかばうように座っているせいか、体に変な負荷がかかってしまって腰が痛くなってくる。しかも1週間くらい前から気になっている首のリンパ節の腫れが低気圧のせいかひどくなっていて、体がだるい。これはよくないかも、と思って早々に切り上げ。駅のホームでイオンウォーターを買って500mlをがぶ飲みする。ペットボトルを首筋に当てると気持ちがいい。体がふらつく感じもあって、もしかして熱があるかもしれないと思う。

 

改札で恋人と待ち合わせ、スーパーでご飯の買い出し。「食欲がないからそばとかそうめんがいいかも」とLINEしていたのだけど、駅に着く頃にはいなばの「とりそぼろとバジル(タイガパオ)」缶の気分になっていた。これだけ聞くと食欲が出てきたように思えるが、というより麺類を啜るのが疲れそうとか、あっさりしたものよりも食欲をそそるもののほうが勢いで食べられそうとか、そういう感じ。

家に帰ってきて、まず体温を測る。36度台前半で熱はなかったけれど、体はだるいのでかえって不思議な感じ。とりあえずジップロックコンテナに入ったご飯をレンジで温める。上に乗せる目玉焼きを焼くため卵を取り出そうとしたら、手が滑って冷蔵庫の中に落としてしまった。「ああー……」と言いながらおろおろしていると、恋人が掃除を手伝ってくれる。思った以上に消耗しているかもしれない。

 

食べながら『生きるとか死ぬとか父親とか』を見たけど、倦怠感が強くて内容がいまいち頭に入ってこず。安静にしていれば治る気がした(というより、そう思いたかった)ので迷ったが、しばらく仕事で休めない日が続くので、総合内科へ行くことにする。まさか1日に2回も病院に行くことになるとは。

待合室は混んでいて、荒井裕樹『まとまらない言葉を生きる』を読みながら待つ。

ここの内科の先生もいつも穏やかで、いつも混んでいて忙しそうだけど丁寧に診てくれる。症状を話すと「コロナ心配?」と聞かれ、「いや、どうなんでしょう……」と言ったら、そのまま流された。「心配です」と言ったらPCR検査だったのだろうか。

PCRはやらなかったけど、念のため血液検査をすることに。肛門の手術をした時にも検査したので、前回から2週間という短いスパンでの血液検査。「悪性リンパ腫っていう、ガンですね。それかどうかも調べますんで」と言われ、カジュアルにガンという言葉が出てきたことにびびってしまう。さっき見ていた『生きるとか死ぬとか父親とか』がまさにトキコの母親がガン宣告を受けた回だったので、その描写に引きずられてよけいに動揺する。

前回の血液検査ではなにも異常はなかったし、診察から血液検査までの時間に悪性リンパ腫の症状を調べたけれど、当てはまる症状はなかった。先生も「検査を受けておいたほうが安心できるでしょう」ぐらいのテンションで、私もあまり心配はしていないのだけど(だからこそこうして日記に書くことができる)、それでもやっぱり気がかり。20〜30代で発症する人も多いと書いてあるし、そもそも体調が悪いと気分が落ちてくるから、ちょっとした心配事にも足を取られてしまうし。

それにしても、なんらかの不調がある状態が続いているのはけっこうきつい。

 

採血を終えて会計。4000円ほどと高かったのは血液検査をしたせいだろう。先日の手術もあったし、医療費がかさんでいる。体調が悪くて仕事もあんまりできず、医療費がかかるみたいな状況って相当きついよな、と思う。私は幸い仕事ができないほど体調が悪化しているわけではないけど、そういう立場の人の不安が以前より少しわかった気がする。本当に少しだけれど。

抗生剤など3種類の薬を処方された。血液検査の結果がわかるのは1週間後。

 

今日の新規陽性者数は436人、重症者数は62人、死者8人。

遅れて届く[2021年5月29日(土)晴れ]

打ち合わせが終わってから恋人と出かける。5月はずっと慌ただしくて、恋人とデートするのは久しぶり。というか、そもそも街へ出かけるのが久しぶりかもしれない。

最近はずっと成人用おむつを使っていたのだけど、せっかくなので気分を上げたいと思って、今日は下着+患部にガーゼで出かけるつもりだった。しかし打ち合わせを終えてスウェットから履き替えようとした時、お尻に違和感が。ガーゼの位置が悪かったようで、下着が少し血で汚れている。患部を目視できないからガーゼをうまく貼るのが難しいのだ。今日は夜まで予定が詰まっているし、無事に過ごせるか自信がなくなってしまって、やっぱりおむつに履き替える。別に誰に見られるわけでもないのだけど、テンションと自己肯定感が爆下がり。便利さと安心感から積極的におむつを選択してきたつもりだったけど、万能ではないなと思う。

というか、排泄は普通にできるし一時的におむつを使っているだけの自分でさえこれだけ自己肯定感が下がるのだから、老化やなんらかの障害によってトイレでの排泄が難しくなり、おむつを履かざるをえなくなった人のつらさは相当なんじゃないかと感じる。その場合、終わりも見えないだろうし。と、これまでまったく知らなかった種類のつらさが少し想像できるようになる。

 

色々と行きたいところがあったので、二人とも少し気分がせかせかしていた。駅前のベックスコーヒーでハッシュドビーフを食べて原宿へ。乗り換えが面倒で、表参道まで歩いて行くことにする。天気が良くて、歩いていると汗ばんでくる。おむつは下着と比べて通気性が悪く、肌にくっついて気持ち悪い。やっぱり下着で来たかったな、と思う。そして恋人はさっきベックスコーヒーでアイスコーヒーを飲んだせいで急にお腹が痛くなったそうで、原宿駅から表参道に着くまでに3回くらいトイレに駆け込んでいた。そのたびに待たされる私。さんざんなふたり。

 

複数回のトイレ休憩を挟み、Spiralへたどり着く。5階の「Call」へ。Spiralは表参道に来たらふらっと立ち寄ることが多いけど、Callへ来たのははじめてだった。話には聞いていたけど、60〜70代くらい?のスタッフが接客している。こういったアパレルで年齢を重ねた方が接客をしていることってあまりないので新鮮。それだけが理由ではないかもしれないけど、若いスタッフだけの店よりも不思議と時間がゆったり流れているような、他にない空気感が生まれていた。

店内をぐるりと一周し、薄いポリエステル素材のポーチを買うことにする。グレーがかった銀色の地に白抜きで、馬や羊、鳩、裸の女性など様々な生き物が描かれているもの。コロナが落ち着いたら、これに靴下や肌着などのこまごましたものを入れて旅行に行きたい。当面はその機会はないけれど、予備のおむつを入れるのに重宝しそうだ。おむつおむつうるさいなと思われるかもしれないけれど、こういう小さなところでテンションを上げて自分を支えるのは大切。

 

新宿へ移動し、しばし恋人と別行動。恋人は数週間前に作ったメガネの度が合わなかったらしく、その調整へ。私はSteven Alanで、インスタで見て気になったアイスブルー色のパンツを試着。ルミネ10パーセントオフの日なので混んでいて、試着までに10分近く待つ。店内のソファに座って待っていたのだけど、体勢によっては患部が痛く、なんか悪化している気がして不安に。今日はこれから映画を見るのだけど……しかも濱口竜介監督の『親密さ』、つまり4時間超えの大作……。

ほしい色のサイズがなかったので別の色でサイズだけ確認。大丈夫そうなので取り寄せてもらう。なんだかあれもこれもと買っている気がするけれど、5月はほとんど出かけていないし、忙しかった分報酬もちょっと多く入ってきそうだし、まあたまにはいいだろう。

 

東中野に移動して、映画の時間になるまで近くのミスドで休憩と腹ごしらえ。飲茶を食べていると、一緒に見ようと誘っていたHも偶然店に入ってきた。空いていた隣の席に座り、少し話す。椅子が固くて患部が痛い。これはいよいよまずいかもしれんと思い、Hと恋人の会話そっちのけでネットで円座クッションを探して買った。早ければ明日には届くはず。

ミスドを出てポレポレ東中野へ向かう途中、Hに私の症状の話をすると「物書きの人は痔によくなるみたいね」とのこと。「朝井リョウもそれで入院していて、エッセイに書いたり病院の個室からラジオ放送したりしてたよ」という。ちょうど朝井リョウの『正欲』を読み始めたところだったので、探して読んでみよう。

 

そうして『親密さ』。映画の内容というより、生々しく記録されている震災直前の2011年の空気に心を奪われてしまった。

映画は韓国と北朝鮮による戦争が起こっている世界線の話だから、正確には記録と言うことはできない。でもその一点を除けばやっぱり2011年で、戦争や政治的なものを語ることへの冷笑的な距離の遠さも、Twitterが新しいものとして注目されはじめた期待感も、LINE以前のコミュニケーションの速度もすべて身に覚えがある。

なんていうか、この10年間で世界が負った傷のことを考えてしまった。東日本大震災ポストトゥルースの政治、コロナの世界的流行。それ抜きでは何も語れないほど世界のかたちを変えてしまった傷が、ここには(まだ)ない。でも、じゃあここに映っている世界が今よりもましかというとそんなことはなくて、この時代ならではの切実さをぎりぎりまで抱えていて、深いところで疲れている(しかも現実と違って戦争も起きている)。登場人物たちも時代の空気に(半分くらいは無自覚に)圧倒されながら、個人的なトラブルを生き抜こうとしている。

そのひりひりとした空気感に惹きつけられたから、個人的には第一部がとても良かった。(言葉を使って)相手の魂に触れることへの問いや倫理が熱を帯びて増殖していくような第二部も良かったけれど。

そしてごく短い第三部のラストシーンは圧巻だった。二人が若い頃何に情熱を傾けたかとか、恋がどうなったとか、今がどんな時代であるかとか、そういうすべてに支えられて輝くシーンではあるのだけど、同時にすべての個人的な生の軌道(や、その重なり)を等しく肯定しているように思える。ごく個人的な必然性に支えられているはずなのに、同時にその必然を失って普遍性に向かって滑っていくような素晴らしさがあった。あのシーンのための4時間半だったとさえ思ったし、生きることも電車のダイヤグラムが一瞬重なりあった誰かに夢中で合図を送る瞬間に支えられているのかもしれない。

 

映画が終わったのは23時過ぎ。映画館を出て、みんなでコンビニでお酒を買って、駅前で少しだけ話す。私の住んでいる町では駅前に人だかりができていると見回りの警官に注意されたりするのだけど、東中野はそういうことはないみたい。いろんなグループがそれぞれ少し離れた場所でぽつぽつと輪を作って、楽しそうに話していた。

完璧なもの(を思う)[2021年5月26日(水)晴れ]

金曜日に手術した部位は、膿をしっかり出し切るために縫合せず傷口をそのままにしてある。だからずっと血と膿が流れ出ていて、医者からはそれを受け止めるガーゼをもらっていたのだけど、このガーゼがなかなかうまくいかない。お尻の近くで傷口を見て貼ることができないし、ガーゼがどれだけ汚れたかの確認もしにくい。立ったり座ったりすると固定するためのサージカルテープがつっぱって、その途中で剥がれてしまうこともある。

結局、早々にガーゼはやめて、成人用おむつを使うことにした。最初は抵抗があったけど、恥ずかしさよりも便利さと面白さの合計点が上回った。おむつ事情にはまったく詳しくなかったのだけど、最近はとても薄型のものがあるようで、ごわごわするような感覚もなく、普段下着を履いているのとまったく同じ感覚で使える。ガーゼのようにずれて下着を汚していないか心配になることもないし、汚れ具合を確かめる時はおろして確認すればいいので楽。排泄は普通にトイレでするから出血と膿以外で汚れることはないので、頻繁に取り替える必要もなし。

 

今朝も起きてすぐにトイレへ行き、おむつの汚れ具合を確認した。手術からだいたい5日くらい経つけど、だいぶ出血や膿の量が減ってきた気がする。ここまで痛みなども特になく、自分の感覚としては経過は良好。5日分の処方だった抗生物質も今日で飲み終わる予定だ(7日分の薬もあるので、まだ投薬は続くけれど)。

シャワーを浴びる時、おそるおそる傷口を触ってみる。痛みはないけれど、体の内側に触れてしまった時の妙な不安がせりあがってきて、すぐに指をひっこめた。触ってみて、皮むき器の横にあるじゃがいもの芽を取る部分、あれを親指の爪くらいの大きさにしたもので鳥もも肉をくりぬいたらこんな感じなのでは、と連想した。ちなみに、穴は親指の爪ほどの直径のまま直腸につながっているわけではなくて、大きく開いているのはあくまでもお尻側の付近だけ。そうするのは、しっかりと穴を開けないと膿が出きらないからだそう。直腸側の穴はおそらくこれよりずっと小さくて、だからそこから便などが漏れるということは、少なくとも私の場合はない。

なんか面白くてじっくり観察してしまう。このあと肉が徐々に盛り上がり、穴が小さくなっていくという。人体の不思議を思いながら新しいおむつにはき替える。

 

関わっている雑誌が今日でようやく校了。月曜日くらいまで慌ただしかったけど、今日時点ではもう私の作業はほとんどなし。念校があがってきて、「大丈夫なので進めてください」を繰り返す。一つずつ終わって手離れしていく感じがすがすがしい。

日中は来週の取材のための資料を読む。私も好きなあるブランドのデザイナーへのインタビューで、個人的にも気合が入っている仕事。食事会も予定されていてすごく楽しみにしていたのだけど、コロナの影響を考慮して断念することにした、と編集者の方から連絡があった。残念。そのぶん取材に集中しよう。

 

資料を読み終え、17時前にスーパーへ買い出し。その間、『荻上チキ・Session』の昨日の特集「LGBT理解増進法案の行方と課題」を聞く。荻上さんの端的な質問に対してゲストの皆さんが答えにくそうにしていたり、前置きが長くなったりする場面が他の特集の時よりも多くて、そのこと自体が今のLGBTQ+を取り巻く状況の複雑さを一番明らかにしていたように思う。言い淀みやエクスキューズの中に、無数の切り捨ててはいけないものがあった。

この法案について意見を聞かれたライターの鈴木みのりさんは「知らないところで話が進んでいる感じ」「それを通すのが果たしていいことなのか本当にわからない。わからない以上は反対」と、発話する直前ぎりぎりまで言葉を選ぶようにしながら話していた(書き起こしだとその逡巡が伝わらないのだけど)。そのあとでfairの松岡宗嗣さんが「反対か、と聞かれると難しい」「これは差別禁止の実効性があるものではなく、理念法と呼ばれるもの。今なぜこんな法律を、と思う気持ちもあるけれど、このレベルの法律でここまでの反対が起きる現状を考えると、使い方によっては前進する部分もあるのかもしれない。その部分を取る考え方もあるが、かえっていろんな議論を後退させてしまう可能性もあって難しい」と話していたのも印象的だった。

なんというか、綺麗な水は望めないから汚れた水を飲むか、引き続き喉の渇きに耐えるか、みたいな状況。そしてKGBTQ+当事者のための法案であるはずなのに、そういう状況を生み出してしまっているというのは、やっぱり当事者のごく一部だけのことしか見えていないからなのかな、と思う。

最後のほうで清水晶子さんが話していた「性自認をめぐる発言で批判を受けている山谷えり子議員は、2000年代のジェンダーバックラッシュの中心的人物」「当時の性教育に対してもそうだったけど、スキャンダラスにプレゼンテーションしたいものを集中的に取り上げて、ジェンダーセクシュアリティの一般的な人権保障や差別禁止を押し戻していく、というの構造がすごく似ている」というのも勉強になった。同じ人が同じ手法で事態を転覆させようとしているのだと思うと、見え方は変わってくる。

 

スーパーの帰りに本屋に寄り、よしながふみきのう何食べた?』の18巻、こだま『縁もゆかりもあったのだ』、荒井裕樹『まとまらない言葉を生きる』などを購入。帰ってきて『きのう何食べた?』を読んだ。なんだかんだと言いながら結局読み続けている漫画。単行本は年に1冊くらいのペースだから1年ぶりくらいに読んだけど、この1年で自分が完全に「二人暮らしのゲイカップルの(主に)料理担当」になったので、より身近なものとして読んでいる気がする。こんなに倹約にこだわったり手間をかけたりする余裕が自分にはないが、シロさんの彩りや器をほぼ気にしないところは限りなく自分に似ている……。

まあこの漫画に限らず、この1年は料理系のコンテンツを見る機会が増えたし、共感を覚える回数や解像度が圧倒的に向上している。

 

夕飯はオムレツ。白ごはん.comのレシピをベースに、にんじんをピーマンに変えて作る。

オムレツは以前、テフロン加工がはげたフライパンを使って失敗したことがあるのだけど、今回はテフロン加工がしっかりしているフライパンを使う。おかげでくっついて卵がボロボロになるのは防げたが、くるんだり、皿にうつすのがうまくいかない。前回のボロボロ度が100だとしたら、今回のボロボロ度は一つ目が50、二つ目が80くらい。二つ目はフライ返しを使って勢いよく、裏返しながら皿にのせようとしたら、中途半端に着地してボロボロになった。綺麗に裏返せていれば限りなく高得点だったと思うのだけど。恋人は「皿をフライパンに重ねればいいんじゃない」と言うが、熱い油が滴ってきそうなのが怖くて躊躇してしまう。味は同じだし、火傷するくらいなら崩れたオムレツで構わない。一度くらいは完璧なオムレツを作ってみたい気持ちもあるけれど。

代々木上原の病院[2021年5月21日(金)雨時々曇り]

10時半から代々木上原の病院へ。数週間前からお尻のあたりに違和感があって、座る体勢によって鋭い痛みが走った。最初は痔を疑ったのだけど、トイレの時に痛むこともないし、触ってみた感じも何もない。なんだかよくわからないけど、座るときに気をつけさえすれば特に生活に支障はないので、あまり気にしないようにしていた。

それが、木曜日くらいから急に違和感が大きくなってきていた。肛門のすぐ横のあたりが腫れていて、ニキビのように中に膿がたまっている感じ。ネットで症状を検索して、なんとなくこれではないか、というものを見つける。いろんな街にある肛門科の先生がやっているブログや、学会の専門的な解説がヒットするが、どれを呼んでも「基本的に手術」と書いてあった。手術って一度も経験がないのでかなり焦って、とりあえず急いで病院を予約する。

最初は家から徒歩圏内の病院を検討したけれど、グーグルのレビューに「先生は明るいが、がさつ」と書いてあったので、候補から外す。先生ががさつな肛門科は、できれば避けたい。少し調べるうちに代々木上原に評価の高い病院があるのを見つけ、明日の空いている一番早い時間を予約した。

 

昨日の夜はスマホで病気について延々調べて、すごく気分が落ち込んでいた。体験談を色々と読んでいたのだが、だいたいみんな術中・術後のすさまじい痛みについて書いている。それから、最初の手術は膿を出すための応急処置的なもので比較的すぐに終わる。ただし根治のためには入院が必要で、そこでの手術はさらに痛い、みたいなことも書いてあって本当に憂鬱。

不安なことがあると、とりつかれたようにその情報を調べてしまうのはなんなんだろう。別のことを考えたほうがいいとわかっているのにやめられない。安心できる情報を探しているようで、楽観的な情報に触れると「それはこの人のケースだから」と無意識に退けている自分がいる。最悪の軌道をシミュレーションすることには、なんらかの中毒性があるように思う。

 

待合室で体温を計ると37度。家を出る前に計った時は36度だったので、いきなり上がっている。この体温計が高めに出るのだろうか。それとも、昨日調べた記事の多くが症状の一つに「38〜39度の発熱」と書いてあったので、それが私の体にも起こりはじめたのだろうか。不安になりつつ、午前の回を予約してよかった、と思う。

10分遅れで番号を呼ばれ、診察室に入って症状を話す。さっそく診察台に横になり、ズボンと下着を脱いで先生にお尻を見せる。どういう姿勢で見せるんだろうと思っていたのだけど、体を横向きにしてズボンと下着を後ろだけ下げるようなかたちだったので、前は露出せずに済んだ。

触診ののち器具を入れて内部を診察し、「あー、膿がたまってますね」と先生。診断の結果はやはり私があたりをつけていた肛門周囲膿瘍という病気で、時間があるなら今日このあとすぐ手術をしましょう、と言われる。即日手術は体験談でも読んでいたことで、「今日のは応急処置で、大半がその後入院手術が必要になります」と言われた内容も含めて予想はできていたのだけど、いざ言われるとけっこう動揺した。

 

ちなみに、肛門周囲膿瘍がどんな病気かいったん整理すると、その名の通り肛門の周囲に膿がたまって化膿してしまう病気。この膿は自然になくなることはなく、また薬でも治療できないので、外側から患部を切り開く手術をして膿を出す。膿をしっかり出し切るため患部は縫合しないので、治癒するまでの数週間は傷口から血や膿が出続ける。
そしてこの手術だけでは肛門〜膿のたまっていた場所〜切り開かれた患部をつなぐトンネルを塞ぐことはできず、そのままにしているとまたこのトンネルに菌が入り込むなどして再発してしまう。このトンネルができている状態が痔ろうで、これを根治するには入院手術が必要、ということらしい(参考)。

すっごいがさつな説明をすると、お尻の穴がふたつになってしまう病気なのだ。すごくつらい。と同時に、すごく面白い。頭が混乱する。

 

とりあえず、準備が整うまで待合室に戻って待機。メールをチェックしたら週明け校了の雑誌の原稿の修正依頼が2つ届いていて、編集者の人に電話とメールで事情を説明。恥ずかしいので病名は言わず、「でも多分たいしたことないんで夜とか明日には対応できると思います!」みたいなことを言ったりしてはぐらかした。

大がかりなものではないことはわかっているけれど、いかんせん生まれてはじめての手術なので「手術」という言葉自体にテンションが上がってしまっている。緊張もしているし、部位が部位なので恥ずかしいやら面白いやらで、いろんな気分が入り混じって高揚しているようだった。

 

それから名前を呼ばれて、血液検査のための採血→着替え→鎮静剤の点滴と続く。着替えは上はそのままで、下だけしっかりした紙製のハーフパンツに着替える。ハーフパンツはお尻のところに穴が空いている。といっても丸見えではなくて、イメージで言うと男性用の前開きのトランクスを前後ろ逆に履いているような感じだろうか。ああいう感じで布が重なり合っているので普通にしていれば見えないが、布をかき分けると部位が露出して、パンツを履いたまま施術ができるという仕組み。

手首あたりの静脈に、鎮静剤*1の針を注射。「手術台に横になってから点滴をはじめるので、すぐ眠くなるということはないので安心してくださいね」と言われ、そのまま点滴のポールをがらがらと引いて手術室へ。

 

手術台にうつぶせになって、「いきなり手術で大変だと思いますけど、がんばってくださいね〜」と先生。そこまでは覚えているのだけど、次の瞬間にはもう回復室のベッドだった。鎮静剤がめちゃくちゃ効いたのか、聞いていたような局所麻酔や手術の痛みは一切感じなかった。というか、手術の記憶がまったくなくて、本当に終わったのかどうかさえわからない。時計を見ると12時過ぎで、30分ほどは経過しているよう。

看護師さんが様子を見に来たので、「手術って終わったんですか」と聞く。まだ鎮静剤の効果があるようで、頭がぼんやりする。終わりましたよ、と言われ、なんだか拍子抜け。スマホを持ってきていたので、ツイッターに手術のことを書き込む。肛門の病気である、ということは隠して「気になることがあって病院へ行ったらいきなり手術になった」という、ひどく物騒な書き方をする。さすがにものものしすぎるかと思ったけど、「肛門」「痔の一種」というワードが出ただけでおもしろ路線になっちゃう、というか自らそっちに寄せていってあとあとしんどくなる気がした(おどけたり笑われたりするのには元気が要る)ので、わざと情報を伏せました。それなりに大変だったから今は笑われるより優しくされたかった……心配してくれた方ありがとうございます……。

 

まあしかし、患部が肛門だから面白いみたいなのも一種の偏見(それは自分の中にも根強くある)なのであまりそれを再強化したくないな、とは思う。実際、体験談を見ていても「かなりつらいのに『言うても痔でしょ?』と言われたり、半笑いで反応されたりするのがきつい」という記述があったし。ただ、当事者になってみると積極的におどけることで乗り切りたいような気持ちもあって、複雑な感情の中で重心が行ったり来たりする。いずれはコミカルな要素だけを抽出し、飲みの席での鉄板トークにしてやるぜというやましい気持ちも正直ある……。

1時間ほど横になって、看護師さんが呼んでくれたタイミングで起きて着替える。先生に術中の写真を見せられ、手術のことや今後のこと、薬のことなどを説明される。ひとまず明日また経過観察のため来院することに。下の階にある薬局で薬をもらう。

 

原稿の修正もしないといけないし、まっすぐ帰宅。代々木上原のあたりは『大豆田とわ子と三人の元夫』のロケ地としても多く使われていて、エンディングの「Presence I」で八作(松田龍平)がアンニュイな表情で歩いている道は小田急線の車窓からも見えたりする(上原と八幡の間あたり)。

このエリア、街もどこか余裕があるし人もみんなシュッとしていて(ラフなんだけど自分に似合った洋服や眼鏡を身につけていて、自転車のボディが細い)、けっこうドラマの世界観そのまま。その余裕ある雰囲気と自分の病気のギャップに自己肯定感が下がりそうになるのだけど、「お尻の穴が二つになった●●(本名)」と脳内で伊藤沙莉にナレーションを入れてもらい、気分を盛り上げる。先のことを考えると不安もあるのだけど、まあなるようにしかならない。

 

帰ってからも患部の痛みはなし。麻酔が効いているのかと思っていたけど、切れてから〜この日記を書いている2日後の現在まで痛みをほとんど感じていない。先生の手術が上手だったのか、私が発熱や本格的な痛みが起こる前に動けたのがよかったのか、患部が比較的浅いところにあったのが幸いしたのかなど、原因はわからない。ただ、体験談の多くが激しい痛みを訴えていたので胸をなでおろしている。病名で検索してこのブログを読んでいる人、私みたいに痛くないケースもあります!

とりあえず急ぎの仕事をやって、あとは安静に過ごした。

*1:ちなみに、私は鎮静剤+局所麻酔だったのだけど、局所麻酔だけで行うケースも多そう。先生が痛みに配慮したクリニックだったので、鎮静剤を提案してくれた

パソコンみたい[2021年5月14日(金)晴れ]

午前中に原稿1本。本当は2本書くのが目標だったのだけど、写真につけるキャプションやデータを揃えていたら午前中いっぱいかかってしまった。

月刊誌の仕事をしているからだと思うけど、ここ数ヶ月は2週〜3週目が明らかに忙しい。4週目に校了して、翌月の頭に発売、というスケジュール。特に今月は大きな特集にかかわっているので分量が多く、やってもやっても終わらない、という気持ちになる。作業しているか、何かを待っているか、他のやらないといけないことを考えているか、という感じで、本を読んだりニュースを見聞きしたり全然できていない。

 

息抜きになっているのはドラマとラジオ。ドラマは夕飯を食べながら録画を見て、ラジオは『ハライチのターン!』と『Over the Sun』みたいに笑えるものばかり聞いている。

今日はお昼ご飯を食べながら昨晩放送の『ハライチのターン!』を聞いて、夕方、2本目の原稿を書き終えてアイロンがけをしている最中に配信されたばかりの『Over the Sun』を聞いた。

 

今日の仕事の目標がまだ終わらず。手を動かす作業を挟んで頭を休めようと思ってアイロンがけをしたのだけどいまいちリフレッシュできず、冷えピタを貼ってみる。冷蔵庫で冷えたシートが刺激になり、若干だけど思考がクリアになった気がした。パソコンみたいだ、と思う。

原稿の仕上げと、編集部にメール。取り上げている対象のセクシャリティに関わるもので、最初に相談した時はかわされた問題を再度相談。このページだけで独立して考えることができれば対応も簡単なのだろうけど、何年も続いている企画でその構造自体に関わる話なので、いまいち腰が重そう。この編集部で私はカミングアウトしていないので、何度も蒸し返すのはちょっと怖いのだけど……何度も読み返して、メールを送信。

 

とりあえず今日の仕事を終えて(一部は明日に持ち越し)、久しぶりにbooth経由で注文があった日記の発送。そういえば先日、知り合いから「読んでいると不思議と穏やかな気持ちになる」と日記の感想をいただいた。

自分としては、コロナ禍の不安の中でネガティブなことばかりにフォーカスしてしまった気がしているし、さらに情報源も偏っているから*1、内容には大いに反省もある。だけど読んだ人の感想は必ずしもそうではなくて、大切に読んでくれている人も多い。うれしいな、と思う。次も日記になるかはわからないけど、また何かZINEを作りたい。

*1:当時の自分に何か声をかけるとすれば「ツイッター見すぎ!」の一言だなと思う