ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

海岸入口[2023年7月18日(火)晴れ]

昨晩タックスノットで飲んだビールが残っていて、朝はなかなか起きられなかった。シャワーを浴びて、午前中のうちに、新しく作っている日記ZINE*1を、主にデザインやデータの面で最終調整。昨日の昼、Mと会ってアドバイスしてもらった通りに修正し、入稿する。慣れていないこともあって、入稿の後戻りできない感にドキドキする。少し経って「データに問題はありませんでした」と連絡がきて少しほっとする。しかしデータに問題がないことは内容に問題がないことを意味しないし(誤植とか)、私と印刷所側で認識の齟齬がある可能性もなくはないので引き続きドキドキしたまま。良い感じになりますように。とりあえず昨日の日記を長く書く。

 

12時から定例のオンラインミーティング。終わったらすぐに家を出て、取材のため湘南台へ。新宿まで出て、小田急線で1時間ほど。座れたので、最近三鷹UNITEの大森さん、書店員のげじまさんとはじめたポッドキャスト番組「前世はきょうだい」の明日配信回をチェックし、概要を埋める。来週また収録があるけど、今回はおすすめ本として何を紹介しようか。

15時から40分ほど取材。まっすぐ帰ってもよかったのだけど、せっかくここまで来たんだしと思って、突発的に近くに海がないかを調べはじめる。最近、この媒体は交通費が支給されなくなった。その溜飲を下げる(?)ためにも、とんぼ帰りではなく少し遊びたかった。

湘南台から海までは思いのほか遠く、徒歩では難しそう。大人しく電車で片瀬江ノ島へ。前に来たのがいつだったかもう覚えていないが、何度か来たことがある。懐かしかった。竜宮城を模したようなよくわからない駅舎も変わっていない。

駅を出てすぐのところにあるファミマでアイスコーヒーを買う。ボタンを留めずにシャツを羽織った水着姿の青年二人が缶チューハイを選んでいた。人の流れがあるほう、おそらく海があるほうへコーヒーを飲みながらぶらぶらと歩く。たいていみんな肌を大きく露出していて、濃いグレーのポロシャツに黒のスラックスみたいな服装をしているのは私くらいだ。浮きまくっているが、でもいい。というか、誰も私のことなど見ていなかった。人生に疲れたおっさんがいるなーくらいには思われたかもしれないが、それも間違いではなかった。

 

海へ行くには地下道を通る必要がある。スロープを下って薄暗い地下道の交差点に行き着くと、「海岸入口」と書かれた案内板が壁に貼り付けられている。海岸入口。いい響き。なんてことないのに慰められるよう。スロープを上って浜へと向かう。薄暗い地下道から再び太陽の下へ。

連休明けの浜には海の家がひしめき、若者たちがはしゃいでいた。サンダルがあればよかったけど持っていないので、黒いスニーカーで砂浜を歩いて行き、波打ち際に近づく。写真や動画を何枚か撮る。

寄せては返す波の動きがきれいだが、近づきすぎると海水は茶色く、ちょっとオイルっぽいというか、率直に言ってあまりきれいではない。肉眼で見ると動きのきれいさや雰囲気のよさが上回るのだが、フォーカスして撮ると伝わらないなと思った。iPhoneをしまって引き返し、浜と道路をつなぐ階段に腰かける。アイスコーヒーを飲み干してしまって、もう一つ大きなサイズを買えばよかったと思いながら音楽を聞いたり、浜辺の人を見たり、波や空を見たりして過ごす。本当にただぼーっとしていた。手持ち無沙汰ではあったし、ずっと見ていられる、みたいな感じでもなかったのだけど、すぐに移動したいとも思わなかった。あともう少しここにいよう、を小さく繰り返していたら時間が経っていた、という感じだった。

私はあくせくした人間で、寄り道したり、ちょっと足を伸ばしたりするのが苦手だ。それが今日はできたというだけで、いい時間を過ごせたと思う。最近は仕事が少なくお金も不安で、だからアイスコーヒーも小さいサイズを買ったりしているのだが、こういう新しい、自分にとっては珍しい時間の使い方をできるのは暇だからに他ならなかった。

太陽が少しだけ低くなってきていて、わずかにオレンジがかっている。夕陽が海に沈むまで長居するつもりはなかったので、今の空の様子を撮る。それから、さっき浜辺で撮った動画をインスタグラムにアップ。このあたりに住んでいる人何人かからメッセージをもらう。意外とこのあたりで生活している知り合いもいるんだな。もっと早く知っていたら連絡したかもしれなかった。実際には起こらなかった、その人たちと会って過ごす時間を思い浮かべて楽しい気持ちになる。新宿へ帰る電車に乗る。

*1:先日の「お金日記」と今日の日記の間の日々について。紙のZINEだけでなくこのブログでも、codocを使って有料販売できたらと考えています

お金日記[2023年6月1日〜17日]

お金に対して、好きという感情も嫌いという感情もない。極端な悲観も楽観もしていないと思う。ただ、この先何十年もこうして稼いでいかなければいけないことに不安と徒労感がある。そして時おり馬鹿馬鹿しくもなる。

昨年、自分の日記をまとめた本を出版する機会に恵まれた。以来、たまにではあるがエッセイ等の寄稿依頼をいただくようになった。正直、本を出すまでは出版直後だけお祭りのような感じで、それが落ち着いたらまた無名のライターに戻るものだと考えていた。今も有名か無名かと言ったら無名なのだけど、それでも少し状況が変わったと感じる。本で書いたこととつながるような、自分の個性や主張をはっきりと打ち出したものが求められるようになったのだ。それまでのライター仕事は取材対象の個性や特色を引き出す裏方的な側面が強いものが多かったため、これは大きな変化だった。

 

それで、もっと自分の色を出した原稿を、たくさん書きたいと思った。そして、それを少しでも収入に当てられないかなと考えていた。

真っ先に思いついたのは、ずっと書いている日記を有料化することだった。ただ、後述するけれどそこにはけっこう逡巡があって、今も決心がついていない。かといって日記以外のテキストは、コンスタントに書き続けられる確信が持てなかった。サブスクリプションのように定期購読してもらうスタイルが自分には合っていると思ったから、継続して書き続ける必要があるのだ。最初から多くの人に支援してもらえるわけではないだろうから、これにかける負担を重くしてしまうと生活がまわらなくなるリスクがある。バランスを考える必要があった。

どんな方法ならできるのか、そもそもどんなプランやプラットフォームがあるのか……そんなことを、日々の合間に少しずつ調べていた。だけど具体的に詰めきれず、曖昧な状態でなんとなく忘れかけていた頃、はてなから連絡が届いた。「codocを使った取り組みを紹介してもらえませんか?」という、PR案件の依頼だった。

 

渡りに船すぎ、と思った。なんならcodocのことも調べていた。とはいえ他の方法も調べていたし、PRって色々面倒かも? 依頼ではなく自主的にやったほうがしっかり吟味できるかも、とも考えたのだけど、依頼の内容はcodocの紹介記事ではなく、「codocを使って有料記事を書いてください」だったので、サービスの良し悪しに関しては書かなくてよさそう。

それに、そうやって吟味し続けた結果何もせずにいるのが現在である。私は腰が重い人間で、しかも最初にめちゃくちゃ考え込むわりにはじめると細かいことがどうでもよくなるタイプなので、だったら背中を押された機会にやってしまおう、と思うことにした。もし決定的に違うと感じたら、その時にまた他を探してもいいだろうし。

 

ということで、「この記事ははてなブログ×codoc連携サービスのプロモーションのため、はてなからの依頼を受けて投稿しています」。有料部分の内容は、2023年6月1日から17日までの断片的な日記にした。毎日つけている日記から、お金のこと、ライターとして働くこと、生計を立てて生きていくことについて考えた箇所を抜粋し、公開用にリライトしている。有料記事って何を書けば読んでもらえるんだろう? 金額はいくらが適正なんだろう? という思索も記録している。

夢のない話も色々としてしまっている、というか夢のある話がほぼないのだけど、文章を書いて生活の足しにしたいと考えている一人の人間の記録として、同じ人、近い人の参考になればうれしい。ちなみにこの投稿で私のブログを知ったという人は、他の無料記事を一つか二つ読んでいただけると文体や思想信条がわかってミスマッチが少ないと思う。

 

この続きを読むには
購入して全文を読む

伏線など[2023年6月5日(月)晴れ]

朝から出張原稿の見直し。2パートあるうちの二つ目のパートの仕上げ。私は原稿を「1ざっくり書く(完成度5〜6割)」「2文章を整える(完成度7〜9割)」「3仕上げ(完成度10割)」の3段階で書いているのだけど、今回は2の段階の完成度が高かったおかげで、あまり手を入れずに済んだ。午前中に終わらせて、支度をして新宿へ。

 

ケイズシネマで映画『老ナルキソス』を見る。この映画のパンフレットの制作に編集として関わっていて、今日は上映後のアフタートークに出ることになっている。制作時にオンラインでは何度か視聴していたのだけど、劇場で見ると暗闇の黒色はより深く沈み、明るいシーンはより眩しく、何倍も映画の世界観が伝わってきた。ゲイでナルシストの老絵本作家・山崎(田村泰二郎)の顔にきざまれた皺や体のしみ、ゲイ風俗で働くレオ(水石亜飛夢)の無自覚な美しさも大画面で見るとより対比が効いている。他にも、細かいシーンで「ここはこういう演出になっていたのか」と気づくことが色々とあり、やっぱり映画って劇場で見た方がいいんだなあとなんだか当たり前のことを思った。監督も「今回は特にぜひ劇場で見てほしい」と言っていたので、こだわったのだと思う。

 

エンドロールの最中にそっと劇場を抜けてロビーへ。東海林監督、パンフレットのデザインを担当した潟見さんと合流し、簡単な流れの打ち合わせ。東海林監督が先に出て行って挨拶したあと、呼び込まれて潟見さんと二人で出ていく。

今回は映画のパンフレットとしてはかなりこだわった内容で、寄稿陣も豪華だし、そもそもボリュームがすごくて96ページある。主人公の山崎が青春時代を過ごした70年代に刊行されていたゲイ雑誌をモチーフにしていて、キャストの方や(なぜか)監督のゲイ雑誌風グラビアや、「文通欄」の再現コーナーなんかも入れてある。

まだインターネットもない当時、ゲイの出会いのツールとなっていたのが雑誌の後ろのほうについている「文通欄」だった。恋人や友達を募集する100字強のメッセージを書いて編集部に送ると次号に掲載され、いいなと思った人からまた編集部経由でメッセージが届く仕組みで、投稿してから返事がもらえるまでには数ヶ月かかる。当時のゲイの人たちは、その時間をじりじりしながら待ったのだった。そしてそういう仕組みなので、メッセージもしっかり好みの人にアピールできるようめちゃくちゃこだわっている。

寂しさと性欲が波のように打ち寄せ、絡み合うその文章を、今読んで、「面白い」と純粋に言っていいかはわからない。だけどこの先二度と同じものは生まれない、この時代のゲイカルチャーを象徴するものではあるのだと思う。私はその再現コーナーのテキストをすべて自分で書いたので(パンフレットの制作で一番大変だった……)その話なんかを少し。作っている時は言葉遣いなどの再現性を意識しながら、だけどそうやって強い思いを込めて当事者の方達が投稿したものを、あざ笑ったり、収奪したりしないようにしたいと考えていた。そのことを話そうとしたのだったけど、ちょっとテンパっていてうまく言えなかった気がする。

トークは20分ほどなのであっという間。最後に告知があれば、と話を振られたのだが、自著の話をするのはもういいかなと思って、パンフレットの表紙を描いてくださった海老原靖さんの個展が明日からあります、という話をする。そうしたら監督がやや困った感じで「こういう時はだいたい自分の告知をするんじゃ……」と言われ、慌てて自著の宣伝。しどろもどろになってしまったが、監督が「コロナ禍の3年間、同性のパートナーと暮らしながら考えていたことの日記で、今読むと当時のことってすごく昔に思えて面白いので、みなさんもぜひ読んでみてください」とフォローを入れてくれる。多分、今日のトークにあわせてその紹介を用意してくれていた。

ちなみに自分の本の話で言うと、2021年の日記の中に、東海林監督の『片袖の魚』をケイズシネマに観に行き、監督とイシヅカユウさんのアフタートークを聞く、という話がある。それから2年が経って、自分がケイズシネマでその監督とトークをしているのだから不思議だ。客観的に見ると「エモい」「伏線回収」という感じがするが、生きることは物語と違うので伏線とかない。だからただ単に面白いなあと感じる。

 

トークを終えたらお腹が空いていた。潟見さんと一緒に近くにあった合作社という台湾料理のお店に入る。私はルーロー飯をオーダー。ふつうのご飯茶碗くらいの器に、甘辛く煮た豚肉と煮卵がのっている。「本場っぽいですね」と潟見さん。日本のルーロー飯は大きめの丼に入っていることがあるが、台湾ではこんなふうに量が多くないものが主流なのだそう。食べつつ、先週タックスノットに遊びに行った時に飲みすぎて後半記憶がない話とか(あんまり見たことないくらい楽しそうにしてましたよ、と言われて若干怖い)、7月に韓国のクィアパレードに参加しようと思っているので、どのへんに泊まるのがよさそうか相談するなどした。

 

仕事をしに家に帰る。改札をくぐってからインスタを開き、国会前で入管法改悪反対の大集会があることを知る。仕事が片付いたら行くことにしようと思って、ちょっと急いで帰って作業。6時半くらいに家を出て、近所のタイ料理屋でカオマンガイを食べ、電車に乗って国会前へ。電車の中で目を閉じる。ここ数日うまく頭が働かなくて、何かを考えようとすると電源スイッチを指で押し込まれているみたいに眠くなる。

途中でメッセージに返信せねばならず少し遅れてしまったのだけど、19時半ごろに到着すると国会前はすでにたくさんの人。列の後ろに並ぶ。

国会前のデモには何度か参加しているけれど、今日はこれまでの中でスピーチが一番よく聞こえた。スピーカーが良いからなのか、風向きも関係しているのか。LGBTQI+支援サークル東京大学TOPIAメンバーの方、中央大学の田内信善さんなど、学生の方々のスピーチが力強くて印象に残った。TOPIAメンバーの方は、プログレスレイインボーフラッグを背負って登壇し、「そうすべきかとても迷った。別イシューの活動を持ち込むことになってしまうのではないかと」と語っていた。その上で、「しかし性的マイノリティの外国人は二重の差別を受ける。だからこの旗を持ってくることで、自分はレイシズムにもセクシズムにも反対すると言うことを伝えたかった」と続けていた。

話を聞きながら時々Twitterを見ていたのだけど、主に流れてくるのは入管法改悪のこと、トランスジェンダーであることを公表している中岡しゅん弁護士への殺害予告のこと、それから香港でレズビアンカップルが襲撃されて命を落としたが、二人の関係性がレズビアンではなく「友達」と報じられていること。香港のニュースはまだ全貌がわかっておらず、襲撃を受けている最中の映像もアップされているようで、ちょっと見たら立ち直れなさそうなのできちんと情報にアクセスできていない。でも、情報をつなぎあわせるとレズビアンであることを理由に襲われたヘイトクライムのようなのに、「友達」とされたら問題の本質が隠されてしまうのでは? 

なんか、ひどいことがあまりにもたくさん、同時に、起こりすぎではないか。ヘイトが人の命をおびやかすことはこれまでもあったけれど、加速的に身近なものになってしまっている気がする。入管に蔓延しているのだってゼノフォビア、ヘイトだし、強制送還の機能を強化する「改正案」も人の命を軽んじている。

#FREEUSHIKUのTwitterアカウントが、強制送還された難民・難民申請者のその後をまとめたページをシェアしていた。人が死ぬかもしれないこと、それを防げないかもしれないことに途方に暮れる。

集会は20時半までの予定だったがすでに21時を過ぎていた。長引いたことで途中離脱した人もいたのか、少しずつ列が前に動いていく。流れにそって歩いていくと、警備の警官数人が近くにいるあたりで止まる。そこへ歩いてきた別の警官が「少しずつ減ってきちゃってるから(そのあとに何か一言、二言言っていたが聞き取れなかった)」と言うと、小さな笑い声が上がった。

最後にスピーチをしたのは児玉晃一弁護士。「今日、諦めている人はいないですよね?」「私は諦めません。なぜなら私がやっていることは正しいことだから」

 

胸の中にたくさんの気持ちがつながらずに転がっていて、なんとなくまだ帰りたくなかった。少しだけタックスノットに顔を出そうか迷って、でも明日もあるし、すごく眠いし、やめておく。土曜日に映画『aftersun』を見てからずっと聴いている、QueenとDavid Bowieの「Under Pressure」を再生しながら地下鉄に乗る。ずっと外で立っているうちに思ったよりも汗をかいていたようで、肌がべとべとしていた。

最後の1枚[2023年6月1日(木)晴れのち曇り]

8時ごろ起きて、先週の出張の取材原稿を書く。大きく二つのパートがあるのだけど、昨日のうちに一つ目のパートを途中まで進めていた。もう半分をちゃっちゃと終わらせたくて、早めに起きることに成功した。何かの本で読んだけれど、人間はやりかけの作業は進めたくなるものなのらしい。だから気が乗らない仕事の時ややる気が出ない時は、重い腰を上げて一気にやるというのではなく、ひとまず少しだけ手をつけるといいのだそう。なんでもないことのように自分を騙して、やりかけの状態を作ってしまうのだ。別に今回のは気が乗らない原稿ではないが、こういう仕事のコツみたいなものは多少状況が違っても応用できる。

午前中に9割ほど書き終え、お腹が空いたのでお昼ご飯を作る。卵が1パック300円近くなってしまって、使うのがうっすらと後ろめたい。だけどやっぱり溶き卵のオレンジや、ごま油で炒めた時の優しい黄色は食欲をそそる。冷蔵ご飯、ツナ缶、先に軽く炒めておいたキャベツを混ぜてチャーハンを作った。二人前。皿に盛ってテーブルに持って行くと、恋人が紅生姜を用意していて(センスがいいな)と思った。鮮やかなピンク色が淡いチャーハンの色を引き立て、おいしそうに見える。ちなみに紅生姜はすき家をテイクアウトした時にもらってきたものの余り。今日使い切ってしまったので、また今度すき家に行った時にもらってこよう。

 

食後に残りの原稿を書き終え、身支度をして映画の試写会へ。『アシスタント』。名門大学を卒業し、映画プロデューサーになる夢を抱いて有名エンターテインメント企業に就職したジェーン。業界の大物である会長のアシスタントとして働き始めたが、任されるのは平凡な事務作業ばかり。そして華やかなパブリックイメージとは裏腹に、オフィスでは残業や休日出勤が、ハラスメントが常態化していた。その仕組みを、誰もが見て見ぬふりをしてやり過ごしている。激しい競争を勝ち抜いて今の職を手にしたジェーンには、自分の代わりがいくらでもいることも、チャンスを掴むためには今ここで耐えるほうがいいこともわかっている。

映画が進んでも物語がいっこうに進まず、何が起こっているのか把握できない。その把握できなさこそが、ジェーンが置かれた状況を追体験するものになっている。下っ端には何が起こっているのか知る機会はなく、ただ与えられたことをこなすしか選択肢がない。

見ていると、抑圧の記憶や構造に加担した経験が蘇ってきた。ただ、無機質な映像と冷たい音、時折挿入される悪い夢のようなユーモラスな瞬間によって、映画には妙な非現実性が漂っていて、生々しくて苦しくなる、ということはなかった。手応えというものが、痛みにおいてさえないというか。

『アシスタント』を撮ったキティ・グリーン監督はドキュメンタリーを多く手がけていて、本作はフィクションだが、数百人の労働者へのリサーチとインタビューが重ねられている。静かに問題を突きつけてくる映画で、どう感想をまとめていいのかがわからない。

見終えたあと、配給のIさんに「これまで描かれてこなかった人たちの体験がこうして90分の物語になることで、何かが変わるきっかけになるかもしれませんね」と言ったのだけど、それは何か感想を伝えなくちゃ、という焦りによる部分が大きくて、半分は本心だけど、もう半分は映画のメッセージ性から客観的に導き出される感想でしかなかった気がした。

借り物の感想を取り去って、言い直すとしたらどうなるだろう。想像してみる。

 

「これまで描かれてこなかった人たちの体験がこうして90分の物語になることで、何かが変わるきっかけになるかもしれませんね。でも、本当にそうなのでしょうか。奪われた力を、塞がれた声を取り戻すのは容易ではないし、敵はあまりにも大きすぎますよね」

「短期的な変化を期待したり、登場人物や観客に背負わせるのは酷だし、構造の問題を指摘したところでそんなこと当事者はとっくにわかっているのではないかという気がします。だから、ジェーンが何もできずに疲れ果てて帰るというところに、監督の誠実さがあると感じました。無力さに寄り添う優しさと、宙吊りにして突き放す厳しさの両方が共存するラストシーンだったと思います。大きすぎる構造の中で、人は被害者でもあり加害者でもあるから」

 

プールへ。2週間ぶりだったので今日は2000mに留めておく。帰ってスーパーで夕飯の買い出し。生クリームを手に取って、こんなに高いのかとびっくり。明日はカオマンガイにしようと思っていつも使っている素を買おうとしたら、いつものコーナーに置いていなくて取り扱いを終了したようだった。どこか別のスーパーで手に入るだろうか。
家に着いた時、恋人はまだ仕事をしていた。「忙しい? さっと食べたい?」と聞くと「いや大丈夫」と言うので、ちょっとコース料理風にすることにした。まず豆と玉ねぎのコンソメスープとトマト、キャベツのアンチョビ炒め(S&Bのシーズニング)。それらを一通り食べたらパスタを茹でる。

書いていて気づいたが、コースにするならスープとトマトとキャベツを一度に出しては駄目である。これではただパスタを後出ししただけだ。まあでも、そもそも私が炒め物とパスタを同時に作ろうとすると頭がパンクしそう(シングルタスク人間なので)というだけで、コースっぽくする必然はなかったので別にいい。私の頭がパンクしなかっただけで御の字。

パスタは恋人が前回のイタリア出張で買ってきた乾燥ポルチーニを使ったクリームパスタ。おいしくできたと思う。

 

プールの疲れが出ていて眠かったが、恋人に「一人で行くのさみしいからついてきて」と言われてコンビニへ。正直めちゃくちゃ面倒だったが、「ぶー(私の愛称)が夜に一人でコンビニに行くのがさみしいからついてきてって言う時についていってあげたこと何度もあるのに、立場が逆になるときてくれないんだね」と言われてしまい、断れない。スーパーで買い忘れた豆乳を買う。それだけではなんとなくもったいない気がしてスナック売り場をうろうろするが特にほしいものがなく、なぜか韓国海苔を買った。帰ってきてもそもそ食べる。「12枚入り」と書いてあって、5枚目くらいまでは数えていたのだけど途中からわからなくなり、気づくと最後の1枚だった。

祝日[2023年3月21日(火・祝)晴れ]

午前中に昨日手が回らなかったゲラに赤字を入れて戻す。そのあとポッドキャストの収録をしようと思ったのだけど、花粉症がひどすぎて断念。冒頭のオープニングを録ろうとするも途中で鼻が詰まり、うまく話せなくなってしまう。昨晩かなり症状がひどく出て、ずっとくしゃみが止まらなかった。そのせいで粘膜が腫れて、鼻腔が狭くなっているのだと思う。午前中に一回、そのあと時間を置いてもう一度挑戦してみたけどやはりダメ。テンションも上がらず、声が暗くなってしまうので今やらない方がいいと思って諦めた。

 

そうしているうちにお昼。恋人も早々にどこかへ出掛けてしまったので、私は一人で新宿をうろつき、その足で下北沢へ。恋人から、ふわふわの卵の上に重量感のある豚カツがのった弁当の写真が送られてくる。プラスチックの弁当箱だけど、縁と内側が朱色に塗られていて、卵の濃い黄色とのコントラストで食欲をそそる。弁当の背景は曇り空、ピントが合っていないからはっきりとは確認できないけど、咲きはじめの桜の木のようなものも写っている。公園で食べているのだろうか。「おいしそう〜」と送ると、「人生で1番おいしいカツ丼だった」と返信があった。おいしいものが食べられてよかった。

私もお腹が空いていて、何か食べたいなと思うのだけど、2時過ぎだというのに下北沢の飲食店はどこも混んでいる。しばらく来ていなかった一番街のあたりなどを歩き、知らないうちにハンバーガー屋が3軒くらいできている、と思う。モスバーガーは変わらずあるが、外壁が新しくなっていた。人混みに疲れてしまって、ずーっと南口のほうまで歩いて、目についた富士そばに入る。もりそばとミニカツ丼のセットを注文。お客さんが私含め2人しかいない。おかげで店内はのんびりした時間が流れていた。店内はちゃんと電気がついているけど、外が明るいか薄暗く感じる。自動ドアの外、晴天の街を若者たちがどんどん通り過ぎていくのを見ながらそばを啜った。違う時空から眺めているみたいだった。

 

BONUS TRACKまで歩いていく。B&Bを見たかったがイベント中なのか15時半まで入れず。月日に寄って、そのあとBOOK LOVER'S HOLIDAYで出店している「本屋メガホン」のブースに立ち寄る。本屋メガホンは社会的マイノリティについて書かれた本をメインに取り扱う書店で、2023年岐阜市にオープン予定。オープンに先駆けて、店主の方が作ったZINE『透明人間さよなら』(いないことにされること、自分の手で恋人をいないことにしてしまうこと、そうした状況を作り出す社会への怒りを、太い線で一筆書きするようなエッセイだった)を売ったり、こうして出店したりしているよう。

今日の出店もZINEが中心だった。けっこう持っているものも多くて親近感を覚えつつ、まだ買っていなかったとれたてクラブ『なかよしビッチ生活』を購入。お会計の際に話しかける。こういうイベント時のあいさつは何度やっても上達せず、気持ち悪い感じになってしまう。SNSでフォローしてもらっていたりすると名前を言えばわかってもらえるかもしれないが、でも名前を言ってもわかってもらえなかったら恥ずかしいな、という思いもあって、整理できないまま話しかけるのがよくないのだと思う。今回もテンパって「私のことをご存知かはわかりませんが……」みたいな、不遜な名乗りになってしまった(実際の言い方は違ったかもしれないけど、もう覚えていない。テンパっていたから……)。でも名前を言ったらわかってくれた。「メガネの印象でした」と言われる。多分、『いちなが』が出た時に受けたある新聞のインタビューの写真を見てくださったのだろう。当時はメディアにあまり顔を出したくなくて、メガネをかけて取材など受けていたのだった。その後「そもそもメガネなんかで変装になるのかよ」と馬鹿らしくなったり、コンタクトを装着することが対外的なスイッチになっていることを実感したりしてなあなあになっていたのだけど、どうやらちゃんと変装になるらしい。最近はメガネをかけずにイベントなどに出ることもあったが、なるべくかけようかな……と思った。特にインターネット上に写真が残りそうな場合は。まあでも気にしすぎな気もしているから、今後もかけたりかけなかったり、ブレブレの方針でやっていくのだろうと思う。

下北沢のTSUTAYAへ移動。3階に「LGBTQ +の本 同性愛嫌悪を終わらせるための最初の一冊」という特設コーナーがあり、「いちなが」が置いてあるのを発見しうれしく思う。写真を撮ればよかった。

 

スタバのコーラフラペチーノが気になっていて、下北沢のスタバへ行ってみるも満席で断念。代々木上原のスタバならどうだろう、と移動してみるも、こちらも満席。このまま諦めようかと思ったけど駅の近くにベンチがあるのを発見し、テイクアウトしてここに座って飲むことにした。

スタバのフラペチーノ、本当に10年ぶりくらいに飲んだかもしれない。スパイスの効いたコーラフロートの味で、でも太い紙ストローで吸うとたまにエスプレッソと砂糖の混ざった甘くて苦い味がする。よくかき混ぜたらコーラとコーヒーの味が同時にするのかもしれないが、そうしなかったので基本コーラ、たまにコーヒーの味、という感じだった。たっぷりのフラペチーノを飲みながらメールの返信をしていく。甘くて、下北沢での人疲れが癒えた。

 

血糖値が上がって眠くなる。本当はこのあとプールへ行こうと思っていたのだけど、眠くてこのまま泳いだら溺れそう。諦めて家に帰る電車に乗ったが、座席に座って数分うとうとしたら体力回復の兆し。これはもう一回うとうとしたら泳げるかもしれないと思って、地元に着いたらすぐに向かい側のホームに停車していた電車に乗って折り返し、うとうとしながらプールへ向かった。完全ではないが、泳ぎはじめたらなんとかなりそうなくらいには回復。頑張って2500メートル泳ぐ。

 

アクティブに動いて、満足げな疲れが体の上にある。難しいことも今日は考えなかった。だらだらと時間を無駄にしたわけでもない。祝日、という言葉の明るさのなかで遊んだような日だった。

俺は気にしいの人[2023年3月18日(土)雨のち曇り]

昨日は夜から出かけていたので、遅い時間に来ていたメールを返せていなかった。朝起きてすぐに返信を書く。今週かなり力を入れて書いていた原稿について、やりとりをしている編集の方、その上の編集長の方から「とても良いと思います」と言われてほっとした。昼に提出して、すぐに拝受の連絡がきたあと夜まで返信がなかったので「もしや致命的な大直しが発生しているのでは……」とそわそわしていたのだ。単純に忙しかったというのが理由らしい(金曜日だししょうがない)。すぐに最悪の事態を思い描いて、その不安に心を持っていかれてしまう。また別の話になるけれど、人と話していて「この人は私ほど空想の不安に心を支配されて踏みとどまったりしないんだな」と思うことがよくある。本当によくあるので、私の気にしすぎという側面が大いにあるのだろう。慎重ではありたいが、「俺は気にしいの人」という認識を持つことで、必要な時にアクセルを踏み切れなくなるのを減らしていきたい。

 

別の原稿の仕上げをして、お昼は恋人が炊いてくれたご飯にSEIYUの「on the ご飯」シリーズをかけただけのもの。恋人に「仕事落ち着いたんでしょ」と言われる。おとといくらいまでは最初に書いた原稿やその他のことでバタバタしていて、かなり殺気立っていたらしい。「髪の毛が逆立って見えたよ」だそう。自分でも余裕がなく、一緒にいるのにいないような感じになっていたと思う。今は提出物を出し終えて少し落ち着いていて、自然と笑ったり冗談を言ったりしている。「わかりやすっ」と呆れて笑われた。

14時から青山ブックセンターの『『ジャクソンひとり』『世界と私のA to Z』刊行記念 安堂ホセ × 竹田ダニエル トークイベント』を聞く。安堂さんの「『ジャクソンひとり』は読者の反応はあまり考えず、書きたいように書いた」という発言に対し、竹田さんが「だからマジョリティ側で責められてると思う人がいるのかもね」と言っていて、わー、重要な指摘! と思った。考えてみると『ジャクソンひとり』はマジョリティの描き方の鋭さが、作品をリアルでひりひりしたものにしている。冒頭のジャクソンとキャプテンのやりとりもそうだし、ジャクソン、エックス、ジェリン、イブキが一緒にいる時に話す言葉の正直さも、マジョリティ不在というかたちでその存在を感じさせるものになっている。正確な表現かちょっと自信がないのだけど、「当事者に指摘されたことでどんな反応が起こるか、マジョリティ側も隠そうとするから、小説ではその部分を広げて書いている」というようなことを言っているのも印象に残った。

その他の話も興味深くて、竹田さんが『ジャクソンひとり』を読んで「これってアリアナでしょ」と盛り上がって安堂さんに伝えた話は、その時の竹田さんの声の明るさも含めて聞いているこちらまで楽しい気持ちになった。アリアナ・グランデのことはあまり追ってないからどの部分を指しているのかはわからなかったのだけど、クィアの表象をこういう風に入れ込んで、そしてそれに気づいた人が盛り上がれる、というのはいいなと思う。自分の『いちなが』はそのへんちょっと、紹介者的なスタンスになってしまったのだよな。ライターの性でもあるかもしれない。そして紹介する、説明することを妙に意識してしまっていたせいで、それがさらっと日常に溶け込んでいる、という表現にはなっていないような気がする。しっかり説明するのがあってもいいけど、もっと気づく人だけが気づく書き方でもよかったのかもと最近は思っていて、その考えを(勝手に)後押ししてもらったような一場面だった。

 

少しごろごろし、夕方からプールへ。雨はもうほとんどやんでいた。気温が低そうで、ちょっと久しぶりにダウンを着る。今週忙しくて1週間ぶりになってしまったのと、寝不足だったので無理はせず2200メートル。

終わってからOKストアで買い物。ウー・ウェンさんのレシピ本を読んでいて見つけた豚の薄切り肉とクレソンの炒め物を作る。薄切り肉はいつ食べてもおいしいが、春に食べるのは他の季節と違ったよさがある。これだけでは足りない気がしたのでキャベツとねぎを投入。分量としてはキャベツが圧倒的に多く、もはや別の料理なのでは、クレソンいるのか、と思っていたが、食べてみると全体がしっかりクレソン風味になっておりよかった。

まだ春の入り口[2023年3月1日(水)晴れ]

目覚めたら3月だった。午前中は相変わらず布団から出られない。今日は9時半からオンラインで打ち合わせがあるので、それまでに身支度ができるように逆算して起きた。おかげで9時半までに起きられた気がするし、かえって9時半に間に合えばいいや、と思って怠けてしまった気もする。いっそ8時半とかに打ち合わせを設定してもらえたらいいのだろうか。あまりにも身勝手だから現実的ではないけれど。

 

打ち合わせ後に原稿を書きはじめるなら執筆が終わるのは昼過ぎになっちゃうな、午前中には終わらせたかった、と焦りながらGoogle meetを立ち上げる。定期ミーティングなのだが思いのほか話すことがなく、30分未満で終わった。よかった、と思って原稿。昨日のうちにざっくり書いておいたので、今日は頭から整えていく作業。ほぼ完成したので、一応明日見直して提出する予定。恋人と一緒に冷凍うどん、そしてSEIYUで買ったお得用の冷凍鶏団子(伊藤ハム)をチンして食べる。

午後は昨日収録したポッドキャストの編集作業。今回は一人で喋っているのだけど、聞き返すと自分の息を吸う音が気持ち悪く感じられて、途中から細かくトリミングしはじめてしまう。ポッドキャストはざくっと録ってそのまま出すなら大した手間にはならないのだけど、こういう細かい作業をはじめるといきなり無限の時間がかかるようになる。

編集時は音声の波形を見ながら作業するのだけど、こうして視覚化されるからよけいに気になるのだろうと思う。無音のところをトリミングして詰めないと不安になるのもおそらく同じ理由。(多くのリスナーと同様に)流し聞きしていれば1〜2秒程度の無音なんて気にならないだろうに、波形が沈黙しているとすごくダメなことをしている気になってしまう。こういう自分の些細なこだわりがクオリティにどれだけ貢献しているのか疑問だ。馬鹿馬鹿しいなー、と思いつつ編集してしまう自分が何より馬鹿馬鹿しい。早くどうでもよくなりたい。

 

編集を終えて音声をアップロード。メールをチェックしていると、今月下旬に出演するイベントの主催者から「お陰様で満席になりました」と連絡が来る。ほっとしつつ、ポッドキャストでそのイベントの告知もしていたのでその部分の音声を削除し再びアップした。1月から2月は人前に出たり告知できる仕事があまりなかったのだけど、今月以降は色々と控えている。それらはいわゆる自分の本の「刊行記念イベント」とは違うもので、ということは書き手としての立ち位置も少しは変わったとみていいのでしょうか、などと考えたりする。慢心するのもよくないけれど。

 

企画書を書き、日記を書く。気圧のせいか胸のあたりだけ重力が強くなったみたいな苦しさがあり、気分が滅入ってくる。無視するように日記を書くが、あまりまともな言葉の羅列にならない。集中できなくて文章が飛躍してしまう。

いつの間にか部屋が暗くなっていたので電気を点ける。米を炊き忘れていたことに気づいて、急いで炊飯。豆腐とわかめ、みょうがのみそ汁、サラダを作る。米が炊けたタイミングで昨日作った豚キムチを温めて夕飯。夕飯の支度をしているうちに胸のあたりの苦しさは消えた。

 

夜は滝口悠生『ラーメンカレー』を読む。滝口さんの小説のこの、何も起こっていないのにすべてが奇跡みたいに思えてくる筆致は本当にすばらしい。胸がいっぱいになる瞬間を捉えていて、そしてそれがずっと続く。やたらと感動しがちな人物が持つ純粋さ、危うさ、間抜けさ、そういうものがやさしく束ねられ、心に運ばれてくる。それでいて今作、特に後半の「窓目くんの手記」シリーズはユーモアも炸裂していて、クライマックスに向かう中で何度も爆笑した。まだ春の入り口にさしかかったばかりだけど、今のところ今年ベストの一冊。暗いニュースが多いけど、こういうふうに好きだなあとしみじみ思える作家がいて、その人がこれからもきっと新作を書いてくれるというのは希望だなと思う。

「キスしてほしい」という短編が収録されていて、そのタイトルはブルーハーツの楽曲に(も)由来している。物語のなかでこの曲が歌われるシーンが、そこに重ねられる登場人物の記憶が本当によくて、聴きたくなってApple Musicを検索してみるもヒットしない。ブルーハーツはサブスクにないんだな、とYouTubeで検索するとMVがヒット。アニメのMVなんだけど、かわいすぎる! テンションが上がってインスタのストーリーとマストドンに投稿した。